「千里ニュータウン」への鉄道交通機関としては、千里山線(現・阪急千里線)とともに、大阪市営地下鉄の御堂筋線の延伸が望まれていたが、大阪市外であることや沿線人口の問題で見送られた。その代替案として建設されたのが、地下鉄の終点「江坂駅」から北に伸びる北大阪急行電鉄であった。「北大阪急行電鉄株式会社」は、大阪府なども出資する阪急の子会社として1967(昭和42)年に設立され、1970(昭和45)年開催の「日本万国博覧会」の会場アクセス線ともなる南北線・会場線が「万博」開幕の前月(2月)に開通した。このときは、「万国博中央口駅」が終点であったが、「万博」終了とともに会場線と「万国博中央口駅」は廃止された。一方で、「千里中央駅」は開業当初は仮設駅として会場線との分岐点に置かれていたが、同年9月14日に南北線部分が0.5km延伸して新しい終点駅となった。
1965(昭和40)年9月、「日本万国博覧会」の開催が正式に決定すると、「万博」関連事業として交通網の整備が急ピッチで進められた。「千里丘陵」には、新たな交通機関として北大阪急行電鉄が開通。また、「名神高速道路」と「近畿自動車道」を結ぶ「吹田インターチェンジ(IC)」が誕生し、後に「中国自動車道」とは「吹田ジャンクション(JCT)」で結ばれた。