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「千里ニュータウン」の生活

「千里ニュータウン」では、住民のための施設が考案され、整備されていった。12の住区それぞれに近隣センターが配置され、購買施設や郵便局などが設置された。北大阪急行電鉄の開通で、「千里ニュータウン」の中央玄関となった「千里中央駅」前には、「千里セルシー」や「千里サンタウン」がオープンした。


「外周店舗型」の「藤白台近隣センター」 MAP __

1964(昭和39)年にまちびらきが行われた「藤白台住区」は、箕面市との市界に接する「千里ニュータウン」の北東部分にあり、阪急の「北千里駅」の東側、南北に長く広がっている。「千里ニュータウン」の近隣センターに設置された店舗の配列の基本パターンとして「街路型」「広場型」「街路広場折衷型」「外周店舗型」があった。

「藤白台近隣センター」は1965(昭和40)年に完成した。21店舗からなるマーケット(小売市場)は、吹田市の小売業者や土地協力者らが結成した「吹田商業振興協同組合」が運営することになり、そのほか8店の住宅付店舗、公衆浴場も開業した。また「千里ニュータウン」では数少なかった、街区の周囲の道路に向けて店舗を構える「外周店舗型」で建設されたため、商業地区的な雰囲気が醸し出されたほか、商品の安さなどもあり、ほかの住区の住民も訪れるなど、当時「千里ニュータウン」内で最も繁盛したといわれる。【画像は昭和40年代】

「藤白台近隣センター」は、2001(平成13)年に着工となった「藤白台近隣センター地区第一種市街地再開発事業」で建て替えられ、2003(平成15)年に「ゆらら藤白台」が竣工した。地上5階、地下1階の建物には、約90戸の住宅とともに食品スーパーマーケット、専門店舗、デイサービス、市民ホール、郵便局などが入っている。

「新千里西町住区」の生活を支えた「新千里西町近隣センター」MAP __

「千里ニュータウン」の区域は吹田市と豊中市にまたがる。豊中市域にある住区のうち「K住区」として建設された「新千里西町住区」は1967(昭和42)年に入居が始まり、「新千里西町近隣センター」が開設された。店舗は「街路広場折衷型」の配置で、32店舗からなる「新千里西町マーケット」は「新千里西町市場事業協同組合」が運営し、13店の住宅付店舗、新聞店も開業した。「千里ニュータウン」に設置された近隣センターの商業施設としては、最大規模であった。1970(昭和45)年には住区の東側に「千里中央駅」が開業し、交通利便性も向上した。【画像は昭和40年代】

「新千里西町マーケット」があった場所は2000(平成12)年にマンションとなった。マンションの北側から西側にかけて、従来からの店舗である「新千里西町商店街」と市民ホール、郵便局が並んでいる。

「千里中央駅」前にあった複合商業施設「千里セルシー」 MAP __

「千里中央駅」開業の翌々年となる1972(昭和47)年、駅前に複合商業施設「千里セルシー」が誕生した。ボウリング場や室内・屋外プール、サウナ、映画館などが入っており、1977(昭和52)年には「ダイエー」もオープンした。屋外に設けられた「千里セルシー広場」では様々なイベントが開催され、新曲発表や握手会を行った新人アーティストの多くがブレイクを果たしたため、『芸能界の登竜門』とも呼ばれる場所となった。【画像は1975(昭和50)年】

写真は2017(平成29)年の撮影。「千里セルシー」は2019(令和元)年に閉館となり、現在、跡地一帯で再開発が検討されている。【画像は2017(平成29)年】

「千里サンタウン」の専門店街は「せんちゅうパル」に MAP __

「千里ニュータウン」の中心となる街、「千里中央地区センター」(以下「千里中央」)の構想は1967(昭和42)年に発表され翌年着工、1970(昭和45)年に完成した。住区として最後の開発であった「新千里南町住区」の入居は1968(昭和43)年に始まっており、「千里中央」の完成は「千里ニュータウン」の開発の中でも特に遅い方であった。「日本万国博覧会」の開会式を3日後に控えた1970(昭和45)年3月11日、「千里中央地区センター専門店街」と百貨店の「千里阪急」、「大丸ピーコック 千里中央店」からなる大型商業施設「千里サンタウン」が開業した。

写真は開業当初の「千里中央地区センター専門店街」で左に「大丸ピーコック」の看板が見える。同年9月の「日本万国博覧会」閉会後、地下に「千里中央駅」が開業、北大阪急行電鉄が乗り入れるようになり、「千里中央」の街は概ね完成となった。1973(昭和48)年10月31日、「大丸ピーコック 千里中央店」が出したトイレットペーパーの特売広告の誤解から「オイルショックによりトイレットペーパーがなくなる」という噂が広まり大行列と品切れが発生、これが報道されたことで全国的な「トイレットペーパー騒動」へと発展した。【画像は1970(昭和45)年】

1990(平成2)年、「千里中央地区センター専門店街」は「大阪モノレール」の「千里中央駅」までの延伸にあわせ「せんちゅうパル」へ改称。さらに翌年、4階部分の増築・改修などによる増床や大屋根の設置といった全面リニューアルを行った。現在「せんちゅうパル」は160店からなる専門店街となっている。写真は同地点付近からの撮影。「大丸ピーコック」は、2002(平成14)年に「千里大丸プラザ」、2013(平成25)年に「オトカリテ」となったのち、2023(令和5)年に老朽化のため閉店となった。現在は旧「大丸ピーコック」を含む一帯で再開発が検討されている。


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