「片倉大宮製糸所」は現在の長野県岡谷市を発祥とする「片倉製糸」によって1901(明治34)年に開設された。当初は大宮町仲町にあったが、1916(大正5)年に現在の「さいたま新都心駅」付近に移転し、工員は男女総数800人にまで成長した。写真は1921(大正10)年に撮影された「片倉大宮製糸所」の外観で、「氷川参道」の「一の鳥居」の近くに大規模な設備を備えていた。
明治後期頃になると、長野県を発祥とする複数の製糸会社が大宮に進出し、本格的な製糸工場が設立された。北関東の養蚕地と、生糸を積み出す「横浜港」の間に位置する大宮は集積地としての利便性が高く、「片倉製糸」(現「片倉工業」)や「大宮館製糸」(のちの「三栄製糸」)、「山丸(やままる)製糸」などが進出した。「鉄道」と「製糸」の2つの産業が大宮の発展を担う産業の柱となり、大宮の街を大きく発展させていった。