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県随一の商業地へ発展した大宮


「川越新道」と「大栄橋」 MAP __

写真は昭和20年代に撮影された「川越新道」の「大宮駅」構内の踏切の様子。駅の東西を結ぶ重要な道となっていた。【画像は昭和20年代】

「川越新道」の交通量の増加に伴い、1961(昭和36)年に全長約420mのアーチ型の橋「大栄橋(たいえいばし、だいえいばしとも呼ばれる)」が架けられた。写真は1960(昭和35)年の「大栄橋」での光景。【画像は1960(昭和35)年】

「大栄橋」は現在も「大宮駅」の東西を結ぶ重要な橋となっている。

賑わう「銀座通り」 MAP __

交通の要衝である大宮には、戦後復興期においても多くの人が集まり、活発な商業活動が行われた。写真は1960(昭和35)年に撮影された「大宮駅」東口の「銀座通り」の夜景。「銀座通り」の歩道には、1954(昭和29)年にアーケードが設置された。【画像は1960(昭和35)年】

左側手前より3軒目のビルが過去の写真で左側に見える旅館の場所となる。「大宮銀座通り商店街」は、2009(平成21)年から2012(平成24)年にかけて老朽化したアーケードの撤去や電線の地中化などの再整備が行われ、明るい商店街となった。

「大宮競馬場」跡地は「ステラタウン」へ MAP __

1931(昭和6)年に開設された「大宮競馬場」。1,600mのコースを備えた本格的な競馬場で『全国三大競馬』の一つともいわれた。1938(昭和13)年に閉鎖されたのち、「中島飛行機製作所」として航空機の生産拠点に変わり、戦後は「富士重工業大宮製作所」となった。【画像は1932(昭和7)年】

「富士重工業大宮製作所」の跡地の一部には、2004(平成16)年に大型商業施設の「ステラタウン」が開業した。

「大宮駅」東口側の街並み MAP __

「氷川神社」の門前町、「中山道」の宿場町として発展した大宮。これらの中心部は、「大宮駅」開業後は駅の東側となったため、東口側が発展した。写真は昭和初期の「大宮停車場通り」で、駅前から東方面を望んでいる。当時は「中山道」で丁字路になっており、突き当りには映画館「武蔵野館」があった。【画像は昭和初期】

「太平洋戦争」末期の1945(昭和20)年4月、「大宮駅」周辺などにおいて建物疎開の命令があり、駅前の商店・飲食店などの建物は除去され、のちに駅前広場となった。写真は現在の同地点の様子。この通りは、現在は「大宮中央通り」と呼ばれている。

写真は昭和30年代の「大宮駅」東口駅前で、駅舎から東方面を望んでいる。戦後の一時期、東口の正面にはロータリーがあった。【画像は昭和30年代】

写真は現在の「大宮駅」東口駅前。1962(昭和37)年に「大一デパート」、1966(昭和41)年に「大宮中央デパート」が開業、その他にも「高島屋」「西武百貨店」「長崎屋」などが駅の東側へ進出し、近隣の商店街とともに賑わいを見せ、埼玉県最大の商業地となった。その後、「大宮ソニックシティ」の完成(1988(昭和63)年)など、西口側の開発も行われ、現在では東口・西口ともに賑わいを見せている。2018(平成30)年、さいたま市は「大宮駅グランドセントラルステーション化構想」を策定、現在は『東日本の玄関口』としての街づくりへの検討が進められている。
MAP __(大宮ソニックシティ)


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