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「山陽道」の要衝 備前・備中の名所

備前と備中は、「山陽道」の要衝であり、「瀬戸内海」の海上交通においても重要な場所であった。ここでは「北前船」や「御座船」が寄港した「下津井港」、物資の中継地であった天領の町倉敷、そして天下の奇祭「会陽(えよう)」で知られる古刹「西大寺」を紹介する。


旧暦正月に行われる天下の奇祭 「西大寺」の「会陽」 MAP __

「西大寺」は、751(天平勝宝3)年創建と伝わる古刹で、旧暦の正月に行われる天下の奇祭「会陽(えよう)」でも知られている。これは、住職が投下した「宝木(しんぎ)」を奪い合うもので、奈良時代に実忠上人が創始した「修正会」の大祈祷が起源となり、1510(永正7)年に現在のような裸祭りになったとされる。2016(平成28)年に、国の重要無形民俗文化財に指定された。画像は江戸後期に作成された3枚1組の木版画で、『十四日夜陰ニ到リ、数万人之中ヘ牛王寶木を投授く、取戴もの諸災難を除き自冨貴得き事、世に知る所たり』との解説がある。【画像は江戸後期】

極寒の中、「宝木」をめぐって繰り広げられる裸祭り。毎年約10,000人が参加し、現在に至るまでその熱気を伝えている。

「風待ち・潮待ち」の良港 下津井 MAP __

「下津井港」は「吉備児島の下の津」と呼ばれた良港であり「風待ち・潮待ち」の港として有名だった。江戸時代には「北前船」や参勤交代の「御座船」の寄港地となったほか、四国の丸亀に渡る琴平参詣船「金毘羅船」の発着場としても繁栄した。船頭たちに唄われた『下津井節』は岡山を代表する民謡のひとつ。写真は昭和戦前期の港の様子。【画像は昭和戦前期】

「下津井港」から「鷲羽山(わしゅうざん)」を望む。本州と四国を結ぶ「瀬戸大橋」が開通し、「風待ち・潮待ち」の港にはダイナミックな景観が生まれている。

白壁の町、天領 倉敷 MAP __

江戸時代初期の倉敷は代官地とともに備中松山藩の玄関港であった。幕府直轄地である天領となり、1642(寛永19)年に代官所が置かれた。「児島湾」と「高梁川」を結ぶ運河として造られた「倉敷川」は、備中を代表する物資の集積地となった。昭和戦前期の写真では「倉敷川」を往来する船に多くの荷物が積まれており、その様子がよくわかる。川沿いに漆喰壁の町家や白壁土蔵造りの蔵屋敷が並ぶ街並みが形成されている。【画像は昭和戦前期】

「倉敷美観地区」は国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。岡山県のみならず、日本を代表する観光地のひとつとなっている。


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