「日本橋」の南詰から延びる江戸のメインストリート、通一丁目。現在の「中央通り」となる。江戸随一の賑わいを見せるこの界隈の地価は、当時日本でもトップクラスだったという。図は幕末期の1858(安政5)年に歌川広重が描いた『名所江戸百景 日本橋通一丁目略図』。右に描かれている店舗は「白木屋呉服店」。「白木屋」は、江戸前期の慶安年間、京都で材木商として創業、1662(寛文2)年に江戸に出て通二丁目で小間物商として開店、1665(寛文5)年に通一丁目へ移転した。その後、呉服も扱うようになり、『江戸三大呉服店』の一つに数えられる大店にまで成長した。
商業地としても発展した日本橋の中でも、特に駿河町の「越後屋呉服店」、通一丁目「白木屋呉服店」、大伝馬町の「大丸屋呉服店」は『江戸三大呉服店』と呼ばれる、江戸を代表する呉服店となり、明治期以降、それぞれ百貨店へ発展、「三越」「白木屋」「大丸」(東京からは明治期に一度撤退)となった。明治期には京都の「髙島屋」も東京に進出、1933(昭和8)年に現在地に百貨店を開業した。