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戦後の復興と発展

戦後も丸の内・大手町は日本を代表するオフィス街となり、「東京駅」は各方面へ向かう新幹線のターミナルとなるなど、交通の要衝としても発展している。近年、丸の内・大手町のオフィスビルは、超高層ビルへの建替えなど再開発が進んでいるが、「東京駅」の復元や、建替えの際にビルの外観の一部が保存されるなど、明治・大正・昭和期の各時代の歴史を感じることができる街となっている。


「新丸ノ内ビルヂング」の開業 MAP __

1937(昭和12)年、「丸ノ内ビルヂング」(以下「丸ビル」)の「行幸通り」を挟んだ向かい側に、「東京館」と命名された新ビルが着工となった。翌年、「日中戦争」の影響から工事の一時中止を決定したが、基礎部分の工事が進行中で、放置すると崩壊や周辺の土地が不同沈下する恐れがあったことから、基礎工事までは完了させた。「太平洋戦争」中は、この基礎部分に水を張って防火用貯水池とされ、戦後は復興用資材の貯木場に使用されたほか、夏の暑い日にはプールの代わりとして泳ぐ人もいたという。写真は戦後、貯木場として使用されていた頃の様子。奥のビルが「丸ビル」、その右が「郵船ビルディング」。【画像は昭和20年代前半】

戦後復興期になると、東京ではオフィスビルの需要が急増、「東京館」の予定地だった場所に「新丸ノ内ビルヂング」(以下「新丸ビル」)が建設されることになり、1951(昭和26)年に着工、翌年、地上8階のビルが竣工となった。写真は昭和30年代の撮影で、右手前が「新丸ビル」、その左が「丸ビル」。【画像は昭和30年代】

「新丸ビル」は建替えられることになり、2004(平成16)年に解体、2007(平成19)年に「新丸の内ビルディング」(写真右手前のビル)が竣工となった。

写真は昭和30年代の撮影で、手前が「丸ビル」、奥が「新丸ビル」。「新丸ビル」及び隣接する「東京海上ビルディング」の場所は、江戸期には「福山藩阿部家上屋敷」があった。【画像は昭和30年代】

KITTE」から撮影した現在の「丸ビル」と「新丸ビル」。近年、丸の内のビルは高層化が進められたが、道路に面した低層部は、建替え前のビルの高さ(約31m)でデザインされており、かつての街並みを感じさせる。

戦後の丸の内

上は昭和30年代の「東京駅 丸の内駅舎」周辺のパノラマ写真。左端が「丸ビル」、その右隣が「新丸ビル」、中央奥右の建物が「運輸省」・「国鉄」の庁舎となる。駅前には都電が通る。【画像は昭和30年代】

写真は現在の「東京駅 丸の内駅舎」周辺の様子。多くのビルが高層化されたことがわかる。

「内務省」の跡地に誕生した「東京都立産業会館」 MAP __

戦後、かつて「内務省」の敷地だった一画には「東京都立産業会館」(のち「東京都立産業会館大手町館」)が建設され、1954(昭和29)年に開館、展示会、見本市、イベントなどの会場となった。翌1955(昭和30)年には「日本国際見本市」(のちの「東京国際見本市」)の第一会場となった(第二会場は晴海)。【画像は1959(昭和34)年】

1980(昭和55)年に老朽化のため閉館、跡地にオフィスビルの「大手センタービル」(写真)が建設され、1983(昭和58)年に竣工した。

「大手町ビルヂング」の開業 MAP __

「三菱地所」は「新丸ビル」を開業させるに際し、大手町一丁目の土地(かつての「会計検査院」の敷地の一部にあたる)を取得し、利用者のための駐車場とした。1956(昭和31)年、この土地と隣接地を合わせて大型ビルの建設を決定、1958(昭和33)年に「大手町ビルヂング」(以下「大手町ビル」)が竣工となった。東西約200mの横に長い街区に建設され、地下階には商店街もあり、飲食店など多くの店舗が営業している。【画像は1959(昭和34)年】

「大手町ビル」は、東京メトロ「大手町駅」(現在は地下鉄5路線が乗り入れる)に直結しており、交通利便性も高い。近年、大手町界隈では多くのビルの建替え・超高層化が進んでいるが、「大手町ビル」は建替えではなく、大規模リノベーションが行われることになり、2018(平成30)年着工、2022(令和4)年に完了。屋上には、約4,000㎡の開放的な屋上庭園「大手町ビルスカイラボ」が整備された。



MAP

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