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大正から昭和へ 交通、インフラの発達

1912(大正元)年、かつて「伏見城」があった「桃山」に明治天皇の「伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)」が造られたことで、多くの人が全国からやってくることになった。その後、国鉄(現・JR)や京阪、新たに開通した奈良電気鉄道(現・近鉄)の駅が整備された。また、新京阪鉄道(現・阪急京都線)は「桂川」の右岸にルートを取り、「桂駅」が置かれて嵐山線との分岐点となった。


「伏見城」本丸跡に、明治天皇の「伏見桃山陵」 MAP __

1912(明治45)年7月30日に崩御した明治天皇の陵(墓所)は、遺言により京都の伏見に造られた。これが「伏見桃山陵」で、「天智天皇陵」をモデルにした上円下方墳となっている。1914(大正3)年に崩御した皇后(昭憲皇太后)の「伏見桃山東陵」もすぐ東に築かれた。この「伏見桃山陵」の場所は、豊臣秀吉が築いた「伏見城」の跡地で、江戸時代に廃城となった後は、桃の木が植えられて「桃山」と呼ばれていた。北西には、「平安京」を開いた桓武天皇の「柏原陵」がある。【画像は昭和戦前期】

明治天皇の「伏見桃山陵」の参道には230段ある長い石段がある。

新京阪鉄道が延伸し、「桂駅」が開業 MAP __

阪急京都線にある「桂駅」は、1928(昭和3)年に当時の新京阪鉄道が高槻町(現・高槻市)~京都西院(現・西院)間を延伸開業したときに誕生した。「桂駅」から分岐する嵐山線も同年に開業している。新京阪鉄道は京阪電気鉄道と合併した後、さらに阪神急行電鉄と合併して京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)となり、戦後に京阪が分離される際に、現在の京都線と嵐山線は阪急に残ることとなった。開業当時の「桂駅」は葛野郡桂村にあり、1931(昭和6)年に京都市に編入され、右京区の一部となった(現在は西京区)。「桂駅」および嵐山線の「上桂駅」が開業し、京都・大阪市内と鉄道で結ばれたことで桂地区の交通の便は大いに改善され、以後は住宅地としての開発が進むこととなる。写真は1955(昭和30)年の「桂駅」の様子。【画像は1955(昭和30)年】

現在の阪急「桂駅」。駅直結のショッピングセンター「ミュー阪急桂」がある。

昭和初期、国営干拓事業が実施された「巨椋池」

「巨椋池」は「京都盆地」の中で最も低い所にあたり、かつては巨大な湿地と湖が拡がっていた。漁業も盛んに行われ、夏には蓮の花の名所としても知られた。写真は明治後期~大正期の撮影で、南西方面を望んでいるものと思われる。【画像は明治後期~大正期】

「巨椋池」は現在の京都府の南部、京都市と宇治市、久御山町にまたがっていた。写真はかつて「小倉堤」が築堤されていた「大和街道」跡付近から南西方向、「巨椋池」跡の干拓地を望んでいる。
MAP __(撮影地点)

明治後期になると、水質悪化などを理由に干拓の機運が高まり、1933(昭和8)年から1941(昭和16)年にかけて国の食料増産事業の一環として、国内初の国営干拓事業が行われた。この干拓事業により、東西約4km、南北約3km、周囲約16kmの水面面積約794haに及ぶ巨大な池が、米や野菜の農地に変わった。【画像は昭和戦前期】

干拓事業と同時に周辺の用排水改良も行われたことで、優良農地へと姿を変えた。
MAP __(撮影地点)


国鉄・京阪・奈良電の駅から「伏見桃山陵」へ MAP __(桃山駅) MAP __(伏見桃山駅) MAP __(桃山南口駅)

京阪電車「伏見駅」と御陵参拝者の光景

京阪電車「伏見駅」と御陵参拝者の光景。
【画像は大正期】

現在の京阪「伏見桃山駅」

現在の京阪「伏見桃山駅」。

京都市南部の伏見にはJR線、京阪線、近鉄線が通り、それぞれ開通した当時から伏見(稲荷)、桃山に駅が設置されていた。1912(大正元)年に明治天皇の「伏見桃山陵」ができたことで、参拝客の来訪も増え、さらに鉄道の駅の設置が進んだ。

「桃山駅」は、1895(明治28)年、奈良鉄道の駅として開業、1907(明治40)年に国有化され国鉄(現・JR)奈良線の駅となった。1912(大正元)年に明治天皇「大喪列車」、1928(昭和3)年に「昭和天皇即位大礼御召し列車」という2度の特別列車が停車することとなり、ホーム新設など大規模な駅の拡張、整備が実施された。この「桃山駅」は、国鉄(現・JR)における「伏見桃山陵」の最寄り駅であり、全国から「京都駅」を経由して、多くの参拝者がこの駅を利用した。

1910(明治43)年に開通した京阪では、大阪方面と京都方面を結ぶ本線に「伏見駅」が置かれ、1915(大正4)年に「伏見桃山駅」と駅名を改称している。また、1913(大正2)年に開業した宇治線には、「伏見桃山陵」とは最短距離になる「御陵前駅」が設置されている。この駅は1949(昭和24)年に現在の名称である「桃山南口駅」に改称されている。

3社の路線のうち、最も遅く開通したのが現在の近鉄京都線となる。1928(昭和3)年に奈良電気鉄道として開業し、一時的ではあるが、本社が置かれた「桃山御陵前駅」が起終点となる時代もあった。京阪の「伏見桃山駅」に近い場所にあり、両駅の前を通る「大手筋通」を東に進み、国鉄(現・JR)「桃山駅」を経て、「伏見桃山陵」に向かうのが、メインの参拝ルートだった。京都、奈良、大阪には、歴代の天皇陵が多く存在しており、戦前においては鉄道各線を利用して、「御陵巡り」も行われていた。


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