1912(明治45)年7月30日に崩御した明治天皇の陵(墓所)は、遺言により京都の伏見に造られた。これが「伏見桃山陵」で、「天智天皇陵」をモデルにした上円下方墳となっている。1914(大正3)年に崩御した皇后(昭憲皇太后)の「伏見桃山東陵」もすぐ東に築かれた。この「伏見桃山陵」の場所は、豊臣秀吉が築いた「伏見城」の跡地で、江戸時代に廃城となった後は、桃の木が植えられて「桃山」と呼ばれていた。北西には、「平安京」を開いた桓武天皇の「柏原陵」がある。
1912(大正元)年、かつて「伏見城」があった「桃山」に明治天皇の「伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)」が造られたことで、多くの人が全国からやってくることになった。その後、国鉄(現・JR)や京阪、新たに開通した奈良電気鉄道(現・近鉄)の駅が整備された。また、新京阪鉄道(現・阪急京都線)は「桂川」の右岸にルートを取り、「桂駅」が置かれて嵐山線との分岐点となった。