1929(昭和4)年頃の分譲案内に掲載された「鴻の巣台」の様子。
【画像は1929(昭和4)年】
1929(昭和4)年、「筑波高速」の計画に合わせて、田中村十余二庚塚、若柴入谷津(現在の柏市松葉町三丁目、十余二、若柴のそれぞれの一部)で、郊外分譲地「鴻の巣台経営地」(以下「鴻の巣台」、「鴻ノ巣台」とも表記された)の造成が始められた。「鴻の巣台」の地名は、当時人気の住宅地だった、市川の「国府台」(こうのだい)にあやかったともいわれる。総坪数30万坪以上の広大な分譲地で、約800区画(一区画あたり約300坪)が分譲された。発売するとすぐに売れたというが、ほとんどは投機目的であったという。その後、「筑波高速」の頓挫もあり、「鴻の巣台」に住宅・別荘が建てられることは、ほとんどなかった。
写真は1929(昭和4)年頃の分譲案内に掲載された「鴻の巣台」の様子。写真右奥にうっすらと見える山は「筑波山」と思われる。「筑波山」は、柏から見ることができるが、山容が強調されすぎており、書き加えられたものと考えられる。
「鴻の巣台」の位置の概略図。赤線が「筑波高速」の予定線。
【地図は1929(昭和4)年】
「鴻の巣台」の北西側、現在の「国道16号」の「若柴交差点」の南側付近が「筑波高速」の「田中駅」の建設予定地で、駅と分譲地の間には、通信教育の「大日本国民中学会」(主宰は尾崎行雄(咢堂))のグラウンドなども予定されていた。
地図は、写真と同じ分譲案内に掲載されたもので、「鴻の巣台」のおおよその位置と形が示されている。
写真は「鴻の巣台」だった場所の現在の様子。写真の一帯など、一部に当時造成された区画が残っており、閑静な住宅地となっている。「鴻の巣」の地名は、町会会館の「鴻の巣ふるさと会館」や「鴻ノ巣公園」などの公園名に残る。かつての分譲地の区域は、1966(昭和41)年、このあたりの区間が開通した「国道16号」により分断されており、北東側の一画は「北柏ライフタウン」の敷地の一部、北西側の一画は「柏市立柏の葉中学校」の敷地となっている。
MAP __(柏市立柏の葉中学校)