「板橋競馬場」は、1908(明治41)年に開場した競馬場。1周1マイルの起伏がある馬場で、北側にメインスタンドがあった。競馬は同年内に3回開催されたが、同年馬券が禁止されたこともあり以降は開催されず、1910(明治43)年に「目黒競馬場」に統合され廃止となった。競馬場の跡地のうち、西側のカーブのあたりには、1914(大正3)年には「養育院 板橋分院」が開院、同年東上鉄道(現・東武東上線)が跡地内を貫く形で開通、1918(大正7)年には「豊島病院」が開院している。地図は競馬場廃止の翌年、1911(明治44)年の発行であるが、競馬場の形状はまだ描かれている。右の細かい家並みが旧「板橋宿」の「仲宿」、左下のあたりが大山となる。
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現在、「板橋競馬場」の跡地は主に住宅地となっている。写真中央に延びる崖線は「石神井川」により形成されたもので、その下が「板橋競馬場」跡地となる。写真右手は「東京都健康長寿医療センター」。