現在の「江戸川」は、古くは「太日川」であったといわれ、江戸前期の「利根川東遷」と併せて開削・改修され誕生した(当時は「利根川」と呼ばれていた)。これにより、江戸(東京)と北関東、さらに銚子を経由して東北方面を結ぶ舟運網が形成され、江戸(東京)の生活を支えた。「江戸川」(「利根川」)はその基幹となる重要な河川の一つであった。
図は江戸末期に描かれた歌川広重の浮世絵『名所江戸百景』の一枚『鴻の台とね川風景』で、「江戸川」を行き交う帆船が見られる。左の断崖が国府台で右に「富士山」が描かれている。【図は1856(安政3)年】