松下幸之助
【画像は1929(昭和4)年】
「パナソニック」を一代で築き上げた『経営の神様』松下幸之助。「PHP研究所」や「松下政経塾」を創設するなど、生涯をかけて「より良いくらし、より良い社会」を追い求め続けたことでも知られる。
幸之助は、1894(明治27)年、和歌山県和佐村(現・和歌山市)に生まれた。実家は貧しく、9歳のときに丁稚奉公に出される。奉公先の得意先回りで市電の姿を見て感動、電気に興味を抱き15歳で「大阪電灯」(現「関西電力」)に入社した。
1917(大正6)年に「大阪電灯」を退職し、電球ソケットの製造販売に着手。事業が軌道に乗った翌年、大阪・大開町で「松下電気器具製作所」を設立した。1922(大正11)年には、本店と工場を建設、1931(昭和6)年から、ラジオの製造を開始するなど事業を拡大していったが、1932(昭和7)年、「産業人の使命は貧乏の克服である」との事業観に思い至り、社員にこれを「松下電器」の真の使命として発表し、新たな発展段階へと入った。翌年、門真地区に新本店、新工場を建設し、1935(昭和10)年には「松下電器産業株式会社」に改組した。門真への進出は成功し「松下電器」は、この地を拠点として世界的企業へと成長を遂げる。
松下幸之助旧宅。門真の新本店に隣接し、数年間住んでいた。
幸之助は、1946(昭和21)年「PHP研究所」を創設、1980(昭和55)年には、21世紀の日本を導く指導者を育てるために私財を投じ「松下政経塾」を開塾。事業経営のみならず、「社会との調和」に心を傾け続けた生涯であった。