「松囃子」は中世に京都などで盛んになった、新年を祝言と種々の芸で祝う年賀行事。博多における「松囃子」の始まりは平安時代末期とされる。江戸初期の博多の豪商・神屋宗湛が記した『宗湛日記』では、1595(文禄4)年、新しい領主となった小早川秀俊(豊臣秀吉の甥、のちの秀秋)への祝言のため(この時は年賀のためではない)「名島城」へ赴き「博多松囃子」を披露したという記述も見られる。
江戸時代になると「博多松囃子」の一行が「福岡城」を訪れ、藩主・黒田氏を表敬する年賀行事が正月15日に行われるようになった。福禄寿・恵比須・大黒天の三福神と稚児からなる伝統的な行列に、各町・各人が趣向を凝らした格好や出し物を行う自由な行列「通りもん」が続いた。この日は無礼講で、表敬のあとは福博の町へ繰り出して祝い、お祭り騒ぎとなった。
写真は「博多松囃子」の行列が「福岡城」内を練り歩く様子。
【画像は昭和30年代】
「福岡市役所入口交差点」を行く「どんたくパレード」。
【画像は2014(平成26)年】
「明治維新」後の1872(明治5)年、「博多松囃子」は華美で治安も悪化するとして禁止されたが、一方で「天長節」など国家の祝日には祝賀が許可されたため、1878(明治11)年以降は、旧正月15日以降の最初の祝日(「紀元節」が多かった)に「博多松囃子」を行うようになった。祝日の開催が義務付けられたことで、休日という意味の「どんたく」が別称として徐々に使われるようになり、当初は特に「通りもん」の行列が「どんたく」「どんたく連」などと呼ばれた。「どんたく」は「休日」を意味するオランダ語「ZONDAG(ゾンターク)」からきた外来語で、江戸末期・明治期の書籍や錦絵にも登場する。半日休みを意味する「半どん」の語源でもある。
1895(明治28)年、陸軍の希望から、11月に行われる「日清戦争」での戦死者の「鎮魂祭」のために「博多松囃子」を開催することとなり、以降、陸軍の「福岡招魂祭」の開催日に併せての行事となったため、江戸時代以前から続いていた年賀行事としての伝統は失われた。
大正末期頃からは「博多松囃子」も含めて「どんたく」「博多どんたく」と呼ぶことが一般化した。戦時体制下となっていた1939(昭和14)年より「どんたく」は中断。終戦後の1946(昭和21)年、「博多復興祭」の中で小規模ながら「どんたく」が復活。翌1947(昭和22)年に現在の「どんたく」に近い形式での開催が始まり、1949(昭和24)年からは新た制定された祝日「憲法記念日」に合わせ、5月3日・4日に「松囃子どんたく港祭り」が開催されるようになった。その後、1962(昭和37)年に現在の名称でもある「博多どんたく港まつり」へ改称、市民の祭りとして広く参加者を募るようになった。
現在は伝統的な三福神と稚児の行列である「博多松囃子」と、「通りもん」の自由な行列から発展した「どんたく隊」と呼ばれる様々なグループの演舞・パレード、両方が楽しめるイベントとなっている。「博多松囃子」は、重要無形民俗文化財となっており、「博多どんたく港まつり」では「どんたくパレード」の先頭を務めるほか、福博の町内をはじめ、「崇福寺」「黒田氏墓所」「福岡城」「護国神社」「福岡市役所」など、所縁のある場所を巡る。