沿線の歴史散策 INDEX

日本初のプロ野球の試合が行われた「鳴海球場」!

図は『名古屋鉄道線路案内図』のうち、「矢作橋駅」から「神宮前駅」までの区間を切り出したもの。

「愛電」は1913(大正2)年に全通となった現・名鉄常滑線を発祥とする。「神宮前駅」はこの時に開設された名古屋側の起終点の駅で、1917(大正6)年にはここから東へ向かう路線(現・名鉄名古屋本線)を開通させた。当初は「神宮前駅」から「有松裏駅」(現「有松駅」)間が開通となったため有松線と呼ばれ、その後、延伸に伴い岡崎線、豊橋線へ改称していった。

「愛電」は沿線の開発も進め、鳴海においては耕地整理が行われていた土地を買収し住宅地「なるみ荘」を開発、1929(昭和4)年に分譲を開始した。

大正中期以降、全国的に野球人気が高まり、名古屋においても中学校野球(現・高校野球)で地元の学校が活躍したこともあり人気となったが、本格的な球場がなかったため「愛電」は鳴海の所有地の一画に「鳴海球場」を建設、1927(昭和2)年に開場した。その後、大学などアマチュア野球出身のスター選手たちによるプロ野球が立ち上げられることになり、「名古屋新聞社」は1936(昭和11)年に「名古屋金鯱(きんこ)軍」を結成。「鳴海球場」を本拠地とし、ここに「東京巨人軍」を迎えて日本初のプロ野球球団同士の試合が行われ勝利を収めた。戦後「中日スタヂアム」(現「ナゴヤ球場」)が開設されたことで「鳴海球場」はアマチュア野球中心の球場となったのち、1958(昭和33)年に閉鎖、翌年、跡地に「名鉄自動車学校」が開校となった。

昭和戦前期の「鳴海球場」 昭和戦前期の「鳴海球場」。
2021(令和3)年に閉店・解体となった「パレマルシェ神宮」 2021(令和3)年に閉店・解体となった「パレマルシェ神宮」。

「神宮前駅」の西側には駅名の由来となった「熱田神宮」が鎮座し、その南側には江戸時代に門前町および陸海の交通の要衝の宿場町として発展した「宮宿」からの歴史を引き継ぐ市街地が拡がっている。

「愛電」の「神宮前駅」は1913(大正2)年、現・名鉄常滑線の始発駅として開設、その後、有松・岡崎・豊橋方面へ向かう路線(現・名鉄名古屋本線)の始発駅としての役割も担うようになり、「愛電」の名古屋側のターミナル駅として発展、駅前には本社も置かれた。1983(昭和58)年、西口に駅ビル「名鉄神宮前百貨店」が建設され、2005(平成17)年に「パレマルシェ神宮」へ改称、2021(令和3)年に閉店・解体となった。写真は「パレマルシェ神宮」閉店後、解体前の駅ビルの様子。跡地には2024(令和6)年に商業施設「あつたnagAya」が開業している。


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