路線図は昭和初期発行の『京成電車 沿線案内』より。正確な作成年月は不明ながら、「日暮里駅」までの開業後、かつ「京成小岩駅」が開業前であることから、1931(昭和6)年12月~1932(昭和7)年5月の間の作成と考えられる。このページでは現在の京成本線(「京成上野駅」~「成田空港駅」)の区間を紹介する。
江戸前期、初代・市川團十郎は「成田山新勝寺」の不動明王を深く信仰し、「成田屋」の屋号を名乗った。不動明王を題材とした歌舞伎を上演すると人気となり、「成田山新勝寺」は江戸の人々の篤い信仰を集め「成田詣」が流行した。明治期以降も「成田詣」は人気があり、明治後期には東京と成田を直結する電気鉄道が計画され、1907(明治40)年、押上~成田間の軌道の特許を得て、1909(明治42)年に「京成電気軌道」(以下「京成電軌」、現「京成電鉄」)が設立された。1912(大正元)年に押上~市川(現「江戸川駅」)が開通、その後延伸が進められ、1925(大正14)年に「成田花咲町駅」(現「京成成田駅」)まで開通となった。