沿線の歴史散策 INDEX

日本初の学校プール!「大阪府茨木中学校」

図は『新京阪電車沿線案内図』のうち、「吹田町駅」(現「相川駅」)から「富田町駅」(現「富田駅」)までの区間を切り出したもの。

この区間に掲載されている4駅は、1928(昭和3)年1月の「淡路駅」~「高槻町駅」(現「高槻市駅」)間の開通と同時に開業している。

「茨木町駅」(現「茨木市駅」)はこの区間の開通当初からの駅の一つ。茨木は中世に「茨木城」の城下町として発展した歴史ある街。明治期になると、茨木村(のち茨木町、現・茨木市)は地域の中心地となり、1895(明治28)年に「大阪府第四尋常中学校」が開校、1896(明治29)年に「三島郡」が誕生すると郡役所も置かれた。

「大阪府第四尋常中学校」は1901(明治34)年に「大阪府茨木中学校」へ改称、北摂を代表する中等教育機関として発展したほか、1916(大正5)年には日本初となる学校プール(写真手前)が開設され、戦前期にはオリンピックなど国際大会へ出場する選手も輩出された。1928(昭和3)年に「茨木町駅」が開設されると「大阪府茨木中学校」の最寄り駅となった。現在は「大阪府立茨木高等学校」となり、現在も大阪府内有数の進学校として知られるほか、水泳の盛んな学校としての伝統も引き継がれている。

大正期の「大阪府茨木中学校」のプール 大正期の「大阪府茨木中学校」のプール。
現在の「総持寺」 現在の「総持寺」。

平安時代に創建された「総持寺」には『亀の恩返し』の伝承が残る。「西国三十三所」の第二十二番札所でもあり、古くより現在に至るまで、多くの巡礼者が訪れる寺院でもある。「総持寺」周辺も古くより門前町として発展していたが、「新京阪鉄道」の開業当初は、近くに駅は設置されなかった。京阪新京阪線となったあとの1936(昭和11)年、駅周辺の住宅地開発に伴い、「茨木町駅」(現「茨木市駅」)と「富田町駅」(現「富田駅」)の間に「総持寺前駅」(現「総持寺駅」)が開業した。当時は周辺に鉄道の駅がなかったため(現「JR総持寺駅」は2018(平成30)年の開業)、参詣客にとっても便利な駅となった。写真は現在の「総持寺」。


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