図は『新京阪電車沿線案内図』のうち、「高槻町駅」(現「高槻市駅」)から「東向日町駅」(現「東向日駅」)までの区間を切り出したもの。
この路線図に含まれる「高槻町駅」から京都方面の区間は1928(昭和3)年11月に開通した。
図は『新京阪電車沿線案内図』のうち、「高槻町駅」(現「高槻市駅」)から「東向日町駅」(現「東向日駅」)までの区間を切り出したもの。
この路線図に含まれる「高槻町駅」から京都方面の区間は1928(昭和3)年11月に開通した。
高槻は中世に「高槻城」が築かれ城下町として発展した街。『キリシタン大名』の高山右近が領主となった影響でキリスト教が拡がったことでも知られる。「高槻町駅」は、高槻の古くからの中心地である城下町の北側、水田が拡がる土地に建設された。
「新京阪鉄道」は鉄道の建設にあたり、沿線の住宅地などの開発も行った。特に「高槻町駅」周辺では約4万坪に及ぶ大規模な住宅地「高槻経営地」の開発が行われ、「高槻町駅」開業の翌年、1929(昭和4)年に竣工となっており、この頃から「新京町商店街」(現「高槻センター街」)も発展していった。また、1928(昭和3)年に「京都帝国大学摂津農場」(跡地は「安満遺跡公園」)、1929(昭和4)年に「京都帝国大学理科大学附属化学特別研究所」(現「京都大学化学研究所」)の本館、1930(昭和5)年には「大阪高等医学専門学校」(現「大阪医科薬科大学」)が移転・開設されるなど学校・研究施設の誘致も行われた。その後、人口の増加、交通利便性の向上、都市化の進行などにより、工場など企業の進出も相次いだ。
阪急京都本線の北側には「北摂山地」が拡がる。京阪間の大消費地に近い場所に位置しながら、豊かな水源もあることから、「富田郷」「摂津郷」では酒造が古くから発展、1887(明治22)年には吹田に「大阪麦酒會社」(現「アサヒビール 吹田工場」)も設立されている。大阪府と京都府にまたがる一帯は山崎と呼ばれ、1923(大正12)年、「サントリー」の前身「寿屋」はスコットランドでウイスキー製造を学んだ、竹鶴政孝氏を所長に迎え蒸溜所(現「サントリー山崎蒸溜所」)の建設に着手、1929(昭和4)年に国産初の本格ウイスキー「白札」が誕生した。「大山崎駅」はその前年に開業している。