家づくりの「心」を「かたち」に、具体例を交え心の家づくりを解説した一級建築士のアドバイスです。
夏目漱石は建築家になりたかった
心に決めたのは23歳の時
漱石は自分の進路を考えた時、のちに次のように振り返っています。
“よく考えて見るに、自分は何か趣味を持った職業に従事して見たい。それと同時にその仕事が何か世間に必要なものでなければならぬ、なぜというのに、困ったことには自分はどうも変物である。当時変物の意義はよく知らなかった。然し変物を似てみずから任じていたと見えて、とても一々こちらから世の中に度を合せて行くことは出来ない。何かおのれを曲げずして趣味を持った、世の中に欠くべからざる仕事がありそうなものだ。(中略)
そこで、ふと建築のことを思い当たった。建築ならば衣食住の一つで世の中になくてかなわぬのみか、同時に立派な美術である。趣味があると共に必要なものである。で私はいよいよそれにしようと決めた”
(「処女作追懐談」夏目漱石全集、筑摩書房所収)
共通する文学と建築
文章によって人生を革新させる力をもつ文学、一方モノをつくることで人々の生活を豊かにするデザイナー、いずれにおいてもデザインすることの中心的な目標は人の心や行動を動かすことにあるのです。
言葉や材料(素材)という要素を分解したり組み合わせをしたり、「術」を用いて創造するという点は作家もデザイナーも同じなのかも知れません。
漱石は、建築科の教室で授業を受けているところを親しい友に見咎められます。そして、「建築より文学を選ぶべきである」と幾度となく忠告を受け、再び文学の道へ進むことを心に決めます。
しかし“文学というデザイナー”と考えれば漱石の作品には人の心や行動を動かす、つまりデザインの中心的目標があります。これから100年、いや200年後も人の心の中で生き続けるゆるぎない力を持っていることです。
わかりにくさをどう伝える
言葉とデザインのイメージは何かに書いたりスケッチしないと実体としては存在しません。したがってある意味わかりにくいといえます。しかし人間は言葉や空間によって感動を受けます。感動を受ける時はその言葉の深さや意味を受けとめることができたり、又住まいにおいては住んでみて毎年その住み心地の良さを発見することもあります。
言葉とデザインのイメージは本来わかりにくさがあるものです。このわかりにくさをどう伝えるのか、ここに実体として存在しない本物の価値が隠されている気がします。しかしながら現代の建築は性能とか数値ばかりを気にして、わかりやすい建築が多くなっているのです。均質で画一的な住宅です。言葉も同じように現代は簡略化された言葉やカタカナ文字がとても多く、大和言葉などの深い意味のある言葉はあまり使われなくなりつつあります。
家は人生の教科書をつくること
人は誰でも美しいもの、かっこいいものをつくりたいと考えます。しかし自分達の周りには現実的にはそうなってないところがたくさんあります。それは経済効率や生産性を意識した建物づくりをしているからです。
自分のこれまでの人生の中で心の中にどんな感動の記憶が残っているか思い出してみて下さい。自分の心に変化を与えたのはすべて技術価値より感性の部分です。
家づくりは人生の生き方を表現するもので、人生の教科書をつくるようなものです。
夏目漱石は建築家から文学への道に変えたが、そこにはより深い感性の部分を見い出し、人生の教科書なるものを我々に与えてくれました。
佐川 旭Akira Sagawa一級建築士
株式会社 佐川旭建築研究所 http://www.ie-o-tateru.com/
「時がつくるデザイン」を基本に据え、「つたえる」「つなぐ」をテーマに個人住宅や公共建築等の設計を手がける。また、講演や執筆などでも活躍中。著書に『間取りの教科書』(PHP研究所)他。