港という場所は、常に通過点である。前衛的であり、変わり続ける。開港から現在に至るまでの横浜にも言えることだ。
時代をとらえた写真や文書が多く残る一方で、歴史に残らず、忘れ去られていく物事もはかり知れないほどある。「3日住めばハマっ子」といわれるように、新しいものを積極的に受け容れる気質も、そんな移ろいの早さから醸し出された人間らしい側面と言えるかもしれない。
開港から160年以上が経った横浜で、姿かたちの変わったものは数多ある。戦後の大きな変化では、海上貨物輸送のコンテナ化があった。物流における20世紀の重要な発明のひとつであるコンテナは、世界の貨物輸送のあり方を変え、開国以来日本の玄関となった「横浜港」にも大きな影響を与えた。港湾機能の中心は徐々にコンテナターミナルを備えた埠頭へと移っていき、それに伴い、沖の船から荷物を受け取り岸まで運ぶために港内を忙しく行き来していた艀は大幅に数を減らし、艀の上で大勢の人々が荷役に従事する光景も次第に見られなくなった。現在も艀は港内や港の間で貨物を運んでいるが、その役割や港での姿は大きく変化している。
20世紀末、横浜中心部のウォーターフロントには、使われなくなった鉄道線路や倉庫が残った。あるものは取り壊され、あるものは観光スポットとして再開発され、再び命が吹き込まれた。そうして再生されたものの代表のひとつが、「横浜赤レンガ倉庫」として全国的に知られるようになった。一方で、一時は1,700隻以上を数えた艀は大幅に数を減らし、かつてのように港内の至るところでその姿を目にすることはなくなった。現在も艀だまりには多くの鉄製の艀が係留されているが、その存在に目を留める人は少ないだろう。
かつて艀が担った沖合の船と陸とを結ぶ役割は、港湾機能の変化とともに大幅に縮小した。しかし、艀が貨物輸送の要として活躍した時代を知る者にとって、この艀の浮かぶ風景は、往時の賑わいを想起させる郷愁の風景なのではないだろうか。