「大軌」は、大阪と奈良を最短で結ぶため、「生駒山」に「生駒トンネル」を掘削した。完成当時としては国内2番目に長い全長3,388mのトンネル(複線用としては国内最長)であった。レンガにより作られており、その使用数は約3,000万個にも及ぶ。大規模な岩盤崩落など工事は困難を極めたが、1914(大正3)年に竣工、開通した。写真は「生駒トンネル」の大阪側の入口と「日下駅」(のちの「鷲尾駅」「孔舎衛坂(くさえざか)駅」)。
現在の八尾市・東大阪市周辺では、1889(明治22)年に大阪鉄道(現・JR大和路線)、1895(明治28)年に浪速鉄道(現・JR学研都市線)、1914(大正3)年に大阪電気軌道(以下大軌、現・近鉄奈良線)、1924(大正13)年に大軌八木線(現・近鉄大阪線)と、明治・大正期に多くの路線が開通した。大軌沿線では大正末期から宅地分譲が多く行われるようになり、住宅地としても発展した。