このまちアーカイブス INDEX

戦後の八事 商業地としての発展

住宅地となった八事一帯には、商店街も形成された。また、「ジャスコ八事店」(現「イオン八事店」)などの大型店舗も進出し、商業地としても発展。また、名古屋市電八事線が廃止された後、新たな交通機関として、市営地下鉄鶴舞線、名城線が開通している。


「興正寺」の門前、昭和中期の「八事商店街」 MAP 26

戦後の1946(昭和21)年から2008(平成20)年まで名古屋で発刊されていた夕刊紙『名古屋タイムズ』に掲載された1965(昭和40)年頃の「八事商店街」の様子を描いたイラストマップ。緑で示した「山手グリーンロード」が大きく描かれるなど、道幅はデフォルメされている。左(北西)側には「八事電車」や「興正寺」も紹介されている。細かく示されている店舗を見ると、右上の「八事郵便局」やその向かいにある「森本」、黄色で示した「飯田街道」沿いには「東寿司」、「木村文具店」など現在も残る店舗も確認することができる。【画像は1965(昭和40)年頃】

現在の「八事交差点」付近の様子。

老舗料亭「八勝館」の敷地に「ジャスコ八事店」が誕生 MAP 27

1973(昭和48)年、老舗高級料亭の「八勝館」が、自らの敷地にヘラルドコーポレーションと共同で開発した「ジャスコ八事店」が誕生した。その後、1993(平成5)年には地上5階、地下3階の現在の店舗に建て替えられ、リニューアルオープンした。【画像は2009(平成21)年】

「八事交差点」の西側に店を構える「イオン八事店」。2011(平成23)年、イオン株式会社が「ジャスコ」などの店舗名を「イオン」に統一したため、「イオン八事店」に店名を改めた。2014(平成26)年にはシニア向けのフロア「G.G(グランド・ジェネレーションズ)モール」を開設するなど、大規模な改装を行い新装開業した。

「八事駅」で連絡する、鶴舞線と名城線 MAP 28(興正寺山門前) MAP 29(地下鉄鶴舞線・名城線八事駅)

1912(明治45)年から市の中心部と八事とを結んだ尾張電気軌道の「八事電車」は、その経営を新三河鉄道へと移し、1937(昭和12)年に名古屋市に買収されて名古屋市電八事線となった。開通から59年後の1971(昭和46)年4月1日に廃止された。画像は、1969(昭和44)年の名古屋市電八事線の終点である「八事停留所」の様子。このページ上部の「八事商店街」の1965(昭和40)年頃のイラストマップ左側に描かれている停留場の位置から、この画像の奥に見える「興正寺」山門前へ位置が変更されていることがわかる。【画像は1969(昭和44)年】

名古屋市電八事線の廃止から6年後の1977(昭和52)年3月、地下鉄鶴舞線が伏見・八事間で開通、同年10月には「赤池駅」まで延伸した。当時「飯田街道」沿いには「南山高等・中学校」や「中京大学」、「名城大学」などがあり、通学の足としても利用された。また、八事地区を縦断する地下鉄名城線は、2004(平成16)年10月に開業し、「八事駅」で鶴舞線と連絡することになった。画像は、地下鉄鶴舞線開通時の「八事駅」出入口付近の写真。看板の奥は「ジャスコ八事店」(現「イオン八事店」)。【画像は1977(昭和52)年】

現在の地下鉄鶴舞線の「八事駅」出入口の様子。

「昭和美術館」は茶道具を展示、尾張藩家老の別邸、茶室も MAP 30

大正から昭和にかけて、「後藤商事」、「中央製作所」を創業した実業家で、「八勝倶楽部」の創設にもかかわった後藤幸三は、生前の住まいとしていた「南山寿荘」のある地に、父である後藤安太郎と自身の収集した美術品を展示する美術館を設立する準備を進めた。そして自身が没した翌年の1978(昭和53)年に開館したのが「昭和美術館」。「南山寿荘」は、1832(天保3)年に建てられた尾張藩家老の渡辺規綱の別邸で、1935(昭和10)年頃に現在の地に移築されている。【画像は1978(昭和53)年】

現在、「昭和美術館」の運営は「公益財団法人後藤報恩会」が行っている。敷地内には池を中心に三つの茶室が点在する。「南山寿荘」は通常非公開だが、建物内の茶室「捻駕籠(ねじかご)の席」のみ、期間限定で見学が可能。


次のページ 地図に描かれた八事


MAP

この地図を大きく表示



トップへ戻る