池田の酒造りの祖といわれる満願寺屋九郎右衛門が政治的手腕により「酒造御朱印」を江戸幕府から授かった事を機に池田には酒造業者が急増した。当時、甘口の酒が台頭していたなかで、「猪名川」の伏流水で醸した辛口の「池田酒」は人気を集め「摂泉十二郷」の一つ「池田郷」として、最盛期には38軒もの酒蔵があった。1900(明治33)年の『鉄道唱歌(東海道編)』では「池田伊丹と名にききし酒の産地もとほるなり」と「池田酒」について歌われている。写真は「満願寺屋」の酒蔵。
江戸時代、池田は「摂泉十二郷」の一つの「池田郷」と呼ばれる酒どころだった。明治以降は銀行などが設立され、後の「ダイハツ工業株式会社」が工場・本社を置くなど、池田は北摂の商工業の中心地となった。また、当初は住宅地として開発が進められた豊中も、人口の増加とともに駅前の商店街が発展し、現在も賑わいをみせている。