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資料から見る箕面有馬電気軌道沿線の住宅地開発

電鉄会社による住宅地開発のパイオニア、「箕面有馬電気軌道」(現「阪急電鉄」)は沿線に30万坪以上の用地を宅地開発の為に買収したうえで、箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄宝塚本線・箕面線)を1910(明治43)年に開通させた。この鉄道事業と住宅地開発事業の結合は、その後、多くの鉄道会社にとって成功事例として参考にされた。


計画的に進められた沿線の住宅地開発

画像は「箕面有馬電気軌道」から改名した「阪神急行電鉄」(現「阪急電鉄」)時代の路線図を一部拡大したもの。沿線の住宅地が分かりやすく記されている。【画像は1932(昭和7)年】

箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄宝塚本線・箕面線)開通の前年、1909(明治42)年末に小林一三氏は『如何なる土地を選ぶべきか如何なる家屋に住むべきか』という冊子(画像)を発行し、住宅地のPRに力を入れた。【画像は1909(明治42)年】

日本初の電鉄会社による分譲住宅

日本初の電鉄会社による分譲住宅 【「池田室町住宅地」の周辺地図】

箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄宝塚本線・箕面線)の開業から3か月後の1910(明治43)年6月、沿線における最初の分譲住宅として、「池田室町住宅地」の販売が始まった。これが日本で初めての電鉄会社による分譲住宅で、販売開始からほどなくして完売した。図の分譲地内中央にある神社は「呉服神社」。【画像は1939(昭和14)年頃】

「岡町住宅経営会社」による住宅地開発 MAP __(新屋敷)

「岡町住宅経営会社」による住宅地開発 【「新屋敷」の平面図】

豊中住宅地」が1914(大正3)年に「箕面有馬電気軌道」(現「阪急電鉄」)によって販売されたのを皮切りに「豊中駅」周辺での宅地開発が進んだ。「岡町駅」西側での宅地開発を行っていた「岡町住宅経営会社」は1920(大正9)年に「新屋敷」を「豊中住宅地」の南側で分譲開始した。【画像は1920(大正9)年頃】

「住宅改造博覧会」

「住宅改造博覧会」 【「住宅改造博覧会」配置図】

箕面における住宅地開発は1911(明治44)年の「箕面有馬電気軌道」(現「阪急電鉄」)による「桜井住宅地」から始まった。その後、「田村地所部」が1919(大正8)年から「桜ヶ丘住宅地」の開発に着手した。「桜ヶ丘住宅地」では1922(大正11)年に「住宅改造博覧会」が開催され、博覧会の終了後には展示住宅が土地付きで売り出された。【画像は1922(大正11)年】



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