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江戸時代に賑わった参詣の道「能勢街道」

大阪から「能勢妙見山」方面に至る「能勢街道」。この道を通って、「多田銀銅山」の銀・銅、丹波の農産物や木材、池田の酒や炭などが大阪にもたらされた。この街道沿いは、早くから開けて人々が暮らした場所が多く、朝廷や武家の崇敬を集めた「服部天神宮」「原田神社」「多田神社」などが鎮座している。江戸時代後半の最盛期には参詣道として賑わった。


能勢氏ゆかりの日蓮宗霊場「能勢妙見山」 MAP __

現在の大阪府豊能郡の能勢町、豊能町、兵庫県川西市にまたがる「能勢妙見山」は山岳信仰の地として知られている。元々、ここには749(天平21/天平感宝元)年に行基が創建した「為楽山大空寺(いらくさんだいくうじ)」があったが、鎌倉時代に入ると能勢氏が「妙見菩薩」を祀っていた。江戸時代に入り、能勢頼次の帰依を受けた日乾が新たな「妙見大菩薩像」を祀って「能勢妙見堂」を創建した。正式には「無漏山眞如寺境外仏堂能勢妙見山」といい、能勢町にある「眞如寺」という寺院の飛び地境内となっている。【画像は1914(大正3)年頃】

「開運殿」とも呼ばれる本殿は江戸時代の1787(天明7)年の再建で、1895(明治28)年に大改修された。

大阪と「能勢妙見山」を結ぶ「能勢街道」 MAP __

「能勢街道」は大阪の中津付近から「能勢妙見山」方面に至る道。丹波地方から池田を経て、大阪に農産物や物産品を経路でもあり、池田・能勢方面の銀銅や炭、酒などがこの街道を通って運ばれた。また、沿道には「服部天神宮」「原田神社」など神社仏閣も多くあり、参詣道としても大いに賑わった。

写真は1938(昭和13)年頃の撮影で、「原田神社」の「北鳥居」付近から北方面を望んでいる。左端の店舗は江戸後期創業で大阪最古のうどん店ともいわれる「土手嘉(どてか)」で、この建物は1926(昭和元)年頃に建てられたという。【画像は1938(昭和13)年頃】

「伊丹街道」と「能勢街道」が交差した岡町付近には、現在「岡町商店街」のアーケードが広がっている。左のうどん店「土手嘉」は現在も古写真と同じ建物で営業を続けている。

「能勢街道」に面して開かれた「原田神社」 MAP __

7世紀後半の天武天皇の時代に創建されたと伝えられている「原田神社」。主祭神は「牛頭天王(ごずてんのう)」で、1688(貞享5)年に「原田大明神」の神号を得て現在の社名となった。明治時代の前半頃までは、現在の「岡町商店街」付近から岡町北あたりまでに及ぶ広大な境内地をもっていたという。神社の正面東側に位置する石鳥居は、「能勢街道」に面して建っており、この地は「能勢街道」と「伊丹街道」の分岐点となっていた。【画像は1963(昭和38)年頃】

全国にも類例の少ない「五間社流造(ごけんしゃながれづくり)」の本殿は国の重要文化財に指定されている。また、秋に行われる「獅子神事祭」は豊中市指定の無形民俗文化財となっている。

「足の神様」として崇敬を集める「服部天神宮」 MAP __

「服部天神宮」は元々、医薬の神「少彦名命(すくなひこなのみこと)」を祀る神社として開かれた社。901(延喜元)年、「大宰府」に左遷された菅原道真が京都から九州へ赴く際、持病の脚気に悩まされ、この地を詣でたところ、すぐに平癒したといわれている。道真の没後にその霊を合祀し、「服部天神宮」の社殿が造営された。「足の神様」として崇敬を集め、当地が「能勢街道」の要所だったこともあり、大いに賑わいを見せた。【画像は明治後期】

新年の「豊中えびす」や夏の「夏天神祭」の際には、近郊から訪れる多くの参拝者で賑わう。


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