「東京石川島造船所」は、1939(昭和14)年、豊洲に近代化された造船所「深川第一工場」(のち「第二工場」「東京第一工場」へ改称)を開設。作業員の宿舎なども立地するようになった。「東京石川島造船所」は1945(昭和20)年に「石川島重工業」、1960(昭和35)年に「石川島播磨重工業」、2007(平成19)年に「IHI」と改称している。写真は昭和40年代の撮影で、写真中央が「石川島播磨重工業」の造船所。
豊洲の埋立ては大正後期から昭和前期にかけて、「関東大震災」の瓦礫の処理も兼ねて行われた。当初は「5号地」と呼ばれていたが、1937(昭和12)年に「豊洲」と正式に命名された。1939(昭和14)年に「東京石川島造船所」の新工場が設置されたほか、戦時中は軍の施設として利用されていた。戦後、豊洲沖に新たな埠頭が造られ、エネルギー基地として戦後復興期・高度経済成長期の東京の経済を支えた。現在はその役目を終え、跡地には「豊洲市場」が誕生している。