このまちアーカイブス INDEX

「臨海副都心」の誕生

「東京臨海副都心」(以下「副都心」)は、「台場地区」「青海地区」「有明北地区」「有明南地区」の4地区からなる。全て埋立て地で、行政は江東区、港区、品川区と三つの区に跨り、面積は442haを誇る。「副都心」の計画は1979(昭和54)年に検討が始まっており、1986(昭和61)年の「第二次東京都長期計画」において東京の7番目の「副都心」とする方針が定められ、1995(平成7)年に「副都心」に指定された。周辺の開発は1989(平成元)年に始まり、1993(平成5)年に「レインボーブリッジ」と「首都高速11号台場線」が開通。1995(平成7)年には、「ゆりかもめ」の新橋・有明間も開業するなど、交通網の整備も進められた。1996(平成8)年には、「副都心」を会場に「世界都市博覧会」が行われる予定であったが、当時の都知事・青島幸男の選挙公約により中止に。その後、オフィスやタワーマンションなどの住宅が誕生したほか、大規模商業施設やレジャー施設も開業。現在では在住・在勤者も増え、多くの観光客・買い物客も訪れる賑わう街となった。


「お台場」にあった貯木場 MAP __(お台場海浜公園)

「十三号地」(現「台場地区」「青海地区」)の埋立ては1961(昭和36)年に始められ、1979(昭和54)に完成した。写真は1965(昭和40)年頃の撮影。「第三台場」(写真右上の四角い島)と「十三号地」の間の海は「第三台場貯木場」として1983(昭和58)年まで利用された。【画像は1965(昭和40)年頃】

「第三台場貯木場」があった場所は、現在「お台場海浜公園」のレクリエーション水域などになっており、一帯は2020(令和2)年の「東京2020オリンピック・パラリンピック」(以下「東京2020大会」)で、トライアスロンとマラソンスイミングの競技会場となる。

「船の科学館」と「東京港トンネル」

「船の科学館」は「副都心」の構想もまだなかった、1974(昭和49)年に「十三号地」、現在の品川区東八潮に開館した。計画時、建設の候補地は数多く上がっていたが、イギリスの豪華客船「クイーン・メリー」と「クイーン・エリザベス」が相次ぎ退役し売りに出されるというニュースが入ったことから、これを取得し展示する方針となった。「十三号地」は当時、交通が不便な地ではあったものの、大型客船の係船には最適とされ、建設地として決定。結局、両客船とも落札には至らなかったが、「十三号地」での建設の方針は変えず、1970(昭和45)年に着工した。写真は建設中の「船の科学館」。 MAP __【画像は昭和40年代後半】

写真は現在の「船の科学館」。本館は2011(平成23)年より展示休止中であるが、別館や南極観測船「宗谷」、屋外展示場は公開されている。この写真外の左側では、2020(令和2)年開業の客船ターミナル「東京国際クルーズターミナル」の建設が進められている。 MAP __(東京国際クルーズターミナル)

写真は1975(昭和50)年頃の撮影。「船の科学館」は完成しているが、周囲にほかの施設は見られない。写真中央で建設中の道路は「首都高速湾岸線」で、中央に「東京港」の海底を通る「東京港トンネル」の縦坑が見える。「東京港トンネル」は1970(昭和45)年に着工し、1976(昭和51)年に「首都高速湾岸線」の一部として開通した。 MAP __(東京港トンネル)【画像は1975(昭和50)年頃】

現在の「船の科学館」(写真左奥)と「東京港トンネル」(写真右奥)。2002(平成14)年には一般道である「国道357号」の海底トンネルも事業化され、2016(平成28)年に西行き、2019(令和元)年に東行きが開通している。

建設が進む「台場地区」「青海地区」

写真は1992(平成4)年の撮影。「臨海副都心」の「青海地区」「台場地区」や「ゆりかもめ」の建設工事が進められている。【画像は1992(平成4)年】

写真は1995(平成7)年に撮影された「青海地区」「台場地区」。「フジテレビ」(1996(平成8)年竣工、翌年本社移転完了)、「ホテル グランパシフィック メリディアン」(1998(平成10)年開業、現「グランドニッコー東京 台場」)などの建設が進められている。 MAP __(フジテレビ)【画像は1995(平成7)年】

写真は現在の「青海地区」「台場地区」。2017(平成29)年に「青海フロンティアビル」20階にオープンした「東京臨海部広報展示室 TOKYO ミナトリエ」からの撮影。 MAP __(TOKYO ミナトリエ)

「レインボーブリッジ」と「ゆりかもめ」 MAP __(レインボーブリッジ)

「レインボーブリッジ」は港区の芝浦と「台場地区」を結ぶ吊り橋で、1987(昭和62)年に着工した。写真は1992(平成4)年頃に撮影された建設中の様子。手前に見える島は「第六台場」。【画像は1992(平成4)年頃】

「レインボーブリッジ」は1993(平成5)年に竣工、開通した。写真は開通後、1994(平成6)年頃の撮影。上下2層構造になっており、上に「首都高速11号台場線」、下に一般道と「ゆりかもめ」(撮影時は開通前)が通る。【画像は1994(平成6)年頃】

写真は現在の「レインボーブリッジ」。右に見える四角い島が「第三台場」。

現在の「ゆりかもめ」(正式な路線名は東京臨海新交通臨海線)は、1982(昭和57)年に計画事業とされ、1989(平成元)年に着工、1995(平成7)年に新橋・有明間が開業。2006(平成18)年には有明から豊洲まで延伸開業した。写真は開業時に導入された7000系1次車の第1編成で、2013(平成25)年に廃車となっている。撮影場所は「レインボーブリッジ」の芝浦側のループ部分。

「有明北地区」の発展

「十号地」の埋立ては「東京港修築事業計画」によって1931(昭和6)年から始まり、北側の地区(現「有明北地区」)は終戦の頃までには埋立てられていた。戦後の1954(昭和29)年、「十号地」の一部が江東区に編入され町名は深川有明となり、さらに1968(昭和43)年の住居表示制度実施により有明となった。「有明の月」(夜が明けても空に残る月)から採られた地名で、隣接する「東雲(しののめ)」(明け方にたなびく雲)とともに、朝の希望を感じさせる地名となっている。写真は昭和30年代の様子。有明は1980年代後半までは主に工業地(写真下部)であったほか、一丁目の北側の海面一帯は「有明貯木場」(写真中央部)となっていた。「有明貯木場」のすぐ北(写真では上)にある細長い島は、1930(昭和5)年、第三期「隅田川口改良工事」の一環で完成した防波堤(現「東京港旧防波堤」)。「有明貯木場」は、この防波堤と「十号地」の間を活用して1956(昭和31)年に開設され、1980年代に閉鎖、2000(平成12)年に埋立て工事が行われた。写真上部は「豊洲埠頭」。 MAP __(有明貯木場跡地)【画像は昭和30年代】

写真は有明一丁目と豊洲六丁目(近年は新豊洲とも呼ばれる)を結ぶ「木遣り橋」から南西方向を望んでおり、中央が「東京港旧防波堤」で、現在「有明親水海浜公園」として整備中。左の建物は「東京2020大会」の仮設の競技場「有明体操競技場」。かつてこの一帯は「有明貯木場」がある海面であった。「有明貯木場」の南側には1952(昭和27)年開場の「東雲ゴルフ場」もあったが1981(昭和56)年に移転しており、現在跡地は「有明テニスの森」などになっている。ゴルフ場の東隣には「東雲飛行場」もあったが、こちらは1980(昭和55)年に移転しており、現在跡地は「東京有明医療大学」「江東区立有明中学校」などになっている。 MAP __(東京港旧防波堤)

「有明南地区」の発展 MAP __(東京ビッグサイト)

「十号地」のうち、南側の地区(現「有明南地区」)は戦後に埋立てられた。「副都心」の開発ではコンベンション・センターの「東京ビッグサイト」(正式名称は「東京国際展示場」)などが建設された。写真は1994(平成6)年の撮影で、「東京ビッグサイト」などの建設中の様子がわかる。写真左の四角い建物が「西展示棟」、その右隣の4本の柱が「会議棟」、写真右側では「東展示棟」が建設されている。【画像は1994(平成6)年】

「東京ビッグサイト」は1996(平成8)年に晴海の「東京国際見本市会場」が移転する形で開設された。写真は現在の「東京ビッグサイト」を、西側にある「有明埠頭橋」付近から望んでいる。「東京ビッグサイト」には、「東京2020大会」の際は「国際放送センター」と「メインプレスセンター」が置かれる。



MAP

この地図を大きく表示



トップへ戻る