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基地跡地の利用

戦後、「立川飛行場」は米軍の「立川基地」となったのち、1977(昭和52)年に全面返還された。返還地のうち、「立川駅」周辺は商業・業務施設からなる「ファーレ立川」として開発され、戦前からの商業地の再開発地区とともに、多摩地域有数の商業地・業務地区となった。広大な飛行場跡地には「国営昭和記念公園」のほか「立川広域防災基地」をはじめとする官公庁や研究所などが、「立川飛行機」の工場跡には「ららぽーと立川立飛」も誕生するなど、返還地の存在は立川の近年の発展に大きく寄与した。


「国営昭和記念公園」の開園 MAP 45

「国営昭和記念公園」は、「昭和天皇御在位50年記念事業」の一環として米軍の「立川基地」跡地に建設された公園。写真は1983(昭和58)年、第一期(「みんなの原っぱ」「花木園」「ふれあい広場」の約70ha)開園の時に撮影された「カナール」。【画像は1983(昭和58)年】

現在の「カナール」。「国営昭和記念公園」は、順次整備が進められており、現在は約169.4haが開園している。

「ファーレ立川」の誕生 MAP 46

「ファーレ立川」は、米軍基地跡地に1994(平成6)年に完成した再開発事業エリアで、写真は同年の撮影。写真中央のビルは手前から「損保ジャパン(現・損保ジャパン日本興亜)立川ビル」「パレスホテル立川」「立川TMビル」。「立川TMビル」には「立川髙島屋」(現「立川髙島屋S.C.」)が入居している。橋脚を建設中の「多摩モノレール」は、1998(平成10)年に上北台・立川北間が開通している。【画像は1994(平成6)年】

再開発ビル群の手前には「立川飛行場」の大正期からの建物(写真左下側)があったが、その後解体され、2016(平成28)年に世界的フィギュアメーカー「壽屋」の本社ビル・本店(写真左側)となった。写真の右側では「立飛ホールディングス」により「GREEN SPRINGS」の開発が進められており、大型ホール、商業施設、オフィスビル、ホテルなどからなる複合施設が2020(令和2)年にオープン予定となっている。 MAP 47(GREEN SPRINGS)


米軍基地の返還と跡地

「砂川闘争」

「砂川闘争」で抗議する地元住民と頭上を飛ぶ米軍輸送機。写真は1956(昭和31)年頃の撮影。

基地開放イベント

米軍と住民との融和を目的に、基地開放などのイベントも行われた。写真は1959~60(昭和34~35)年頃の撮影。

米軍「立川基地」は、1950(昭和25)年に始まる「朝鮮戦争」では、米軍の極東最大の輸送基地となった。米兵を相手とする商売で好景気となる一方、米兵の市民への暴力や飛行機の騒音が問題となっていた。

1955(昭和30)年に「立川基地拡張計画案」が通達されると、拡張に反対する住民運動(「砂川闘争」)が起こった。砂川町議会も全会一致で反対を決議。同年、土地収用のための測量に際し、反対する地元の住民と武装警官隊の間で激しい衝突が発生した。その後、1968(昭和43)年に基地拡張計画の中止が発表され、翌年に米軍による全ての飛行活動は停止、1972(昭和47)年に「陸上自衛隊東部方面航空隊本部」が移駐し日米共同使用されたのち、1977(昭和52)年に米軍の「立川基地」は全面返還された。

返還地のうち、東部地区は「立川防災合同庁舎」「陸上自衛隊立川駐屯地」「海上保安庁」「警視庁」「東京消防庁」などの施設からなる「立川広域防災基地」として整備され、1995(平成7)年に全施設が完成した。駅に近い地区は商業・業務施設からなる「ファーレ立川」、その北側には「立川市役所」の新庁舎、「多摩モノレール」の「立飛車両基地」、「IKEA立川」、「国立極地研究所」「国文学研究資料館」などの研究施設、中央部には「国営昭和記念公園」が誕生している。東側の一部は所有者の「立飛企業」(現「立飛ホールディングス」)などに返還され、現在は物流倉庫・配送センターなどのほか、「ららぽーと立川立飛」、「アリーナ立川立飛」などの敷地としても利用されている。 MAP 48(立川広域防災基地) MAP 49(立川市役所)




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