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新百合ヶ丘の誕生

現在の「新百合ヶ丘駅」付近は、かつては「百合ヶ丘」の造成地に隣接する丘陵で約65%が山林という土地であった。「小田急電鉄」の「多摩ニュータウン」への新線建設を機に「新百合ヶ丘駅」が建設され、1974(昭和49)年に開業したが、土地区画整理事業が進むまで、駅の周辺にはクヌギやコナラの雑木林が広がっていた。


小田急線の付け替え

1967(昭和42)年と1978(昭和53)年の地形図を見比べると、のちの「新百合ヶ丘駅」付近は、かつては「百合ヶ丘」の造成地に隣接する丘陵地で、1967(昭和42)年の地形図付近のように小田急線はS字のカーブで丘陵地を避ける、「津久井道」に概ね並行したルートであった。【地形図は1967(昭和42)年】

1968(昭和43)年、「小田急電鉄」は東京都などが開発を進めていた「多摩ニュータウン」へのアクセス路線(現・多摩線)と、その分岐駅となる新駅を百合ヶ丘~柿生間に作る計画を発表。1970(昭和45)年に着工、多摩線と丘陵地を貫く直線的な小田原線の新線、分岐駅となる新駅「新百合ヶ丘駅」が建設され、1974(昭和49)年6月に開通・開業した。【地形図は1978(昭和53)年】

写真は、旧線が新線に切り替わる直前の1974(昭和49)年5月の撮影。場所は旧線の「百合ヶ丘2号踏切」で、上地形図の付近。 MAP __ 【画像は1974(昭和49)年】

同地点付近の現在の様子。バス停の先の交差点がかつての踏切付近。写真には写っていないが、交差点から左方向に延びる歩行者専用道路が線路跡となる。この交差点の先に「新百合ヶ丘駅」北口のロータリーがある。

「新百合ヶ丘駅」が開業する2週間ほど前の様子。小田急線の下り線(右側)は新線に切り替わっているが、上り線(左側)は旧線のままという珍しい写真。下ってくるのは、「NSE」の特急ロマンスカー「あしがら」号。多摩線の高架橋も見える。撮影場所は上地形図の付近。 MAP __【画像は1974(昭和49)年】

同地点付近の現在の様子。このあたりの旧線の跡は、保線用の用地として使用されている。写真の特急ロマンスカーは2018(平成30)年に登場した「GSE」。

「新百合ヶ丘駅」の開業 MAP __

「新百合ヶ丘駅」は1974(昭和49)年に開業した。写真は1977(昭和52)年、現在の南口側の駅前。開業より3年経過しているが、駅前にはまだ建物は見られず、周辺はクヌギやコナラの雑木林が広がっていた。この年から駅周辺の土地区画整理事業が始まっている。【画像は1977(昭和52)年】

現在の「新百合ヶ丘駅」南口側の駅前。多くの商業施設が立地するほか、バスロータリーから多くの路線バスが発着するなど、交通の要衝にもなっている。

写真は1978(昭和53)年撮影の「新百合ヶ丘駅」。駅の北側(写真右奥)で造成工事が始まっている。【画像は1978(昭和53)年】

現在の「新百合ヶ丘駅」。写真のように急行・各駅停車などの待ち合わせが行われることも多い。写真右奥の駐車場のあるビルは1997(平成9)年開業の「小田急アコルデ新百合ヶ丘北館」。

「麻生川」の桜並木 MAP __

「麻生川」では、1968(昭和43)年に認可された「麻生川沿岸土地改良事業」の中で、治水のために直進化などの整備が行われた。この事業に合わせ、1972(昭和47)年に桜の苗木の植樹が行われた。写真は1974(昭和49)年5月に小田急線の百合ヶ丘~柿生間で撮影された「麻生川」と桜。【画像は1974(昭和49)年】

現在は「麻生川」と小田急線の間にはマンションなどが多く建ち並び、桜並木から電車はあまり見えない。

桜並木は成長し、川の両岸に約240本のソメイヨシノが咲き誇る桜の名所となり、1994(平成6)年からは「麻生川桜まつり」も開催されている。「麻生川沿岸土地改良事業」は2000(平成12)年に完了した。


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