このまちアーカイブス INDEX

百合ヶ丘の誕生と昭和40年代の登戸

戦後、駅の誘致に始まり、公団住宅の誘致、商店街の形成まで、地主の努力により誕生した百合ヶ丘。現在、誕生から半世紀以上を経て、閑静な住宅街として発展、近年は団地・商業施設の建て替えなども進んでいる。「登戸駅」は近年、小田急線とJR南武線の乗換駅として改良が進んだほか、駅周辺では土地区画整理も行われるなど、より便利で快適な街に進化している。



百合ヶ丘の駅と団地の誕生 MAP __(百合ヶ丘団地)

1949(昭和24)年、高石(現「百合ヶ丘駅」周辺)では「西生田駅」(現「読売ランド前駅」)と「柿生駅」の間に新駅を誘致しようという声が上がり、地元の有力者が「小田急電鉄」に陳情。当初、「小田急電鉄」は新駅設置に消極的であったが、周辺の住宅地は「小田急電鉄」が開発するという条件で、新駅設置が進められることとなった。

「百合ヶ丘団地」の空撮

「百合ヶ丘団地」の空撮。写真下側に小田急線が通り、その上に「高石橋」が架かる。橋の右が「百合ヶ丘駅」。【画像は1963(昭和38)年頃】

1954(昭和29)年より、地主から「小田急電鉄」への土地譲渡が始められたが、1956(昭和31)年に制定された「首都圏整備法」で緑地帯に指定され、開発が規制されるなどの問題が出てきたため、地主らは「日本住宅公団」(1955(昭和30)年設立、現・UR都市機構、以下公団)に開発を陳情、その後、土地(主に農地・山林)のとりまとめを行い、14万坪の土地を公団に譲渡、団地の造成が進められることになった。「津久井道」から造成地まで入る道が必要であったことから、まず最初に「高石橋」が小田急線上に架けられ、1959(昭和34)年に完成。この橋は「百合ヶ丘駅」に隣接し、現在も利用されている。

1960(昭和35)年1月、公団住宅の命名の会議が開かれ、高石の旧名主家で駅・公団住宅の誘致に尽力してきた笠原博氏の発案で、「弘法松」から見下ろした百合の花から、また100人近い地主の協力があっての「百合う丘」の意味を込めて『百合ヶ丘』と決まった。

「百合ヶ丘駅」は1960(昭和35)年3月に開業、同年9月、公団「百合ヶ丘団地」(賃貸1751戸)に入居が始まった。土地を提供した地主には、駅前の商業地の土地を優先的に分譲することになっていたため、地主の経営する店を中心とする駅前商店街も誕生した。


団地とともに誕生した「ゆりストア」 MAP __

1960(昭和35)年、「百合ヶ丘団地」の入居に合わせ、駅前に「ゆりが丘ストア」が開店した。駅・団地の誘致に尽力した笠原博氏の経営で、当時、登戸~町田間で唯一のスーパーマーケットであった。免許が必要だった米、塩なども販売、翌年には産地直送システムに本格的に取り組み、2階には衣料店や美容院などもオープンした。写真は1965(昭和40)年前後の外観。1968(昭和43)年に「ゆりストア」へ改称した。【画像は1965(昭和40)年前後】

「百合ヶ丘団地」および「ゆりが丘ストア」が誕生して10周年の1970(昭和45)年、増改築し新装オープンとなった。【画像は1970(昭和45)年】

写真は2018(平成30)年撮影の「ゆりストア 百合丘本店」。2020(令和2)年にドラッグストア「クリエイトエス・ディー」の子会社となったのち、2023(令和5)年に「百合丘本店」は店舗建替えのため一時閉店となった。【画像は2018(平成30)年】

「百合ヶ丘駅」の開業 MAP __

地元の地主より1949(昭和24)年から要望されていた新駅の設置は、公団住宅の誘致が成功したことにより、1960(昭和35)年に実現した。写真は1960年代の「百合ヶ丘駅」と駅前の様子。左の建物が「ゆりが丘ストア」(のちの「ゆりストア 百合丘本店」)、その後ろに「百合ヶ丘団地」が見える。右の建物が「百合ヶ丘駅」で、その手前の橋が「高石橋」。【画像は1960年代】

現在の「百合ヶ丘駅」。「高石橋」は現在も「津久井道」と「百合ヶ丘団地」方面を結ぶ主要な橋となっている。

「登戸駅」周辺の風景

小田急線の「登戸駅」は、1927(昭和2)年の開通と同時に「稲田多摩川駅」として開業。1955(昭和30)年に「登戸多摩川駅」、1958(昭和33)年に「登戸駅」へ改称している。写真は1969(昭和44)年撮影の「登戸駅」。正面に見える山が「枡形山」。ホームの先、左側の看板が1966(昭和41)年開店のスーパーマーケット「サンコー 登戸店」。その右側の看板は1968(昭和43)年開店の家具店「大正堂 登戸店」。 MAP __【画像は1969(昭和44)年】

「登戸駅」構内は、2018(平成30)年に複々線化された。現在、「サンコー」があった場所には信用金庫の支店がある。「大正堂」は2018(平成30)年に閉店となった。

現在のJR南武線は、私鉄の南武鉄道として、小田急線と同じ年、1927(昭和2)年3月に「川崎駅」から「登戸駅」まで、11月に「大丸駅」(現「稲城長沼駅」付近)まで開業、翌々年に「立川駅」まで全通した。1936(昭和11)年に小田急線との間に登戸連絡線が作られ、貨車などが相互に乗り入れた。1944(昭和19)年に国有化、国鉄南武線となった。写真は「登戸駅」と「中野島駅」の間で、1972(昭和47)年の撮影。 MAP __【画像は1972(昭和47)年】

写真は「河原第一踏切」付近から「中野島駅」方面を撮影。一帯には住宅などが増えたが、所々に田畑も残る。


次のページ 新百合ヶ丘の誕生


MAP

この地図を大きく表示



トップへ戻る