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「よみうりランド」の歴史

「よみうりランド」は1964(昭和39)年に開園した遊園地。スキー場、本格的なモノレール、ジャンプ台、水中劇場など、特徴的な施設も多数作られた。近年でも2014(平成26)年に「日テレらんらんホール」、2016(平成28)年に新遊園地エリア「グッジョバ!!」をオープンさせるなど、時代に応じたアトラクションの改廃を行うとともに、様々なイベントも開催され、開園50年以上を経た現在も、多くの人で賑わう遊園地となっている。



「よみうりランド」の誕生

「よみうりランドセンター」

「読売ゴルフパブリックコース」の当初のクラブハウスは、「読売ランド」開園後は正面入口の「よみうりランドセンター」として使用された。【画像は1968(昭和43)年】 MAP __

「丘の湯プラザ」

この建物は「丘の湯プラザ」として現存している。

この地に最初にレジャーランドが構想されたのは1957(昭和32)年。ゴルフ場の建設予定地として一帯の用地買収が行われ、1961(昭和36)年に「読売ゴルフパブリックコース」(現「よみうりゴルフ倶楽部」)が開場した。1962(昭和37)年には、隣接地に「東京よみうりカントリークラブ」が仮開場、「よみうり・フィッシングセンター」も開場となった。1963(昭和38)年の元日、『読売新聞』紙面において、一大レクリエーションセンター「読売ランド」の計画が大々的に発表された。人工スキー場の「読売スキーセンター」は先行して整備され、同年8月に営業を開始している。

「水中バレエ劇場」

「近藤玲子水中バレエ団」の公演は1996(平成8)年まで「水中バレエ劇場」(当初の名称は「水中劇場 竜宮城」)で続けられた。 MAP __

1964(昭和39)年元日にモノレールの運行が開始され、3月19日に「読売ランド」が開園となった。この時、「聖地公園」「海水水族館」、スキージャンプ台の「読売シャンツェ」などが誕生している。開園前の3月1日には小田急線「西生田駅」の「読売ランド前駅」への改称も行われた。同年、遊園地の造成のため「読売ゴルフパブリックコース」のアウトコースを移設し、モノレールを延伸・環状化、ホテルを開業するなど施設の拡充が進められ、「近藤玲子水中バレエ団」の公演も始められた。遊園地の名称は、1968(昭和43)年に「読売ランド」から「よみうりランド」に変更された。

その後、時代に応じたアトラクションの改廃を行うとともに、様々なイベントを開催、現在も多くの人で賑わう遊園地となっている。


人工スキー場とジャンプ台 MAP __

1963(昭和38)年8月に営業を開始した時の「読売スキーセンター」。奥に見える鉄橋は翌年開業するモノレール用。「読売スキーセンター」は「読売シャンツェ」とともに1972(昭和47)年に閉鎖された。現在、跡地は「読売ジャイアンツ球場」になっている。【画像は1963(昭和38)年】

スキージャンプ台の「読売シャンツェ」(写真中央)。競技団体に無料で貸し出され、1972(昭和47)年の「札幌冬季オリンピック」でのスキージャンプ70m級での日本勢メダル独占の快挙につながった。ジャンプ台の塔は「パラシュート・タワー」としても使用されていた。【画像は昭和40年代】

現在も塔は残るが、アトラクションには使用されていない。

「読売シャンツェ」の下の建物及びその北側の建物は「地方学生ホテル」として開業。修学旅行団体などに利用された。1980(昭和55)年に「よみうりランド会館」となり、企業の研修などでも利用されるようになったが、2004(平成16)年に閉館した。跡地は「読売巨人軍室内練習場」などになっている。【画像は1980年代】

東洋一のモノレールの開業

1964(昭和39)年、開通当時としては東洋一長い全長2km(のち3.4kmに延伸)の跨座式モノレールが開業した。当初、小田急線「読売ランド前駅」までの延伸も構想されていたが実現せず、1978(昭和53)年に廃止となった。 MAP __【画像は1964(昭和39)年】

廃止されたモノレールの土台の一部は1983(昭和58)年から「サーキットギャング」に利用された。1周2.3km、8分間のコースで人気のアトラクションであったが、2003(平成15)年に営業終了となった。写真の右上に見える場所は、現在は「丘の湯」「丘の湯プラザ」の駐車場となっている。 MAP __【画像は1980年代】

1968(昭和43)年当時の園内図

遊園地名がひらがなの「よみうりランド」に改称となった1968(昭和43)年当時の園内図。この後、時代に応じた改廃が行われており、現存するアトラクションは少ない。左上に描かれている「釈迦如来殿」には仏舎利(釈迦の遺骨)と聖髪(釈迦の遺髪)が奉納されている。仏舎利はセイロン(現・スリランカ)政府より、聖髪は東パキスタン(現・バングラデシュ)政府より、開園年の1964(昭和39)年に贈られた。一帯はかつて「聖地公園」と呼ばれていたが、近年再整備が行われ、2020(令和2)年にエンターテインメント型フラワーパーク「HANA・BIYORI(はなびより)」として再オープンした。【図は1968(昭和43)年】

「スカイロード」と「スカイシャトル」 MAP __

「スカイロード」は、1971(昭和46)年の京王相模原線開通、「京王よみうりランド駅」開業と同時に開通。駅前と遊園地をつなぐ動く歩道で、200mを6分で結んでいた。写真は1980年代の撮影。【画像は1980年代】

1999(平成11)年、「スカイロード」に代わる新たな遊園地へのアクセス手段として、駅前と入園口「スカイゲート」を結ぶ全長882mのゴンドラ「スカイシャトル」が開通した。窓からの景色が遊園地気分を盛り上げるほか、春には桜、冬の夜にはイルミネーションを上空から眺めることもできる。


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