「読売ゴルフパブリックコース」の当初のクラブハウスは、「読売ランド」開園後は正面入口の「よみうりランドセンター」として使用された。【画像は1968(昭和43)年】 MAP __
この地に最初にレジャーランドが構想されたのは1957(昭和32)年。ゴルフ場の建設予定地として一帯の用地買収が行われ、1961(昭和36)年に「読売ゴルフパブリックコース」(現「よみうりゴルフ倶楽部」)が開場した。1962(昭和37)年には、隣接地に「東京よみうりカントリークラブ」が仮開場、「よみうり・フィッシングセンター」も開場となった。1963(昭和38)年の元日、『読売新聞』紙面において、一大レクリエーションセンター「読売ランド」の計画が大々的に発表された。人工スキー場の「読売スキーセンター」は先行して整備され、同年8月に営業を開始している。
「近藤玲子水中バレエ団」の公演は1996(平成8)年まで「水中バレエ劇場」(当初の名称は「水中劇場 竜宮城」)で続けられた。 MAP __
1964(昭和39)年元日にモノレールの運行が開始され、3月19日に「読売ランド」が開園となった。この時、「聖地公園」「海水水族館」、スキージャンプ台の「読売シャンツェ」などが誕生している。開園前の3月1日には小田急線「西生田駅」の「読売ランド前駅」への改称も行われた。同年、遊園地の造成のため「読売ゴルフパブリックコース」のアウトコースを移設し、モノレールを延伸・環状化、ホテルを開業するなど施設の拡充が進められ、「近藤玲子水中バレエ団」の公演も始められた。遊園地の名称は、1968(昭和43)年に「読売ランド」から「よみうりランド」に変更された。
その後、時代に応じたアトラクションの改廃を行うとともに、様々なイベントを開催、現在も多くの人で賑わう遊園地となっている。