「玉川上水」は、1653(承応2)年4月4日に着工し、11月15日に完成した。当時、江戸の人口増加により1629(寛永6)年頃に完成していた「神田上水」などでは水の供給が足りなくなっていたため、開発が進められた。「玉川上水」は「武蔵野台地」の尾根を流しているため分水が可能であり、水の乏しい「武蔵野台地」上の開発にも大きな役割を果たした。【画像は1856(安政3)年】
江戸の住民に生活用水を供給していた「玉川上水」は、四ツ谷大木戸から江戸各所へ分配されていた。明治に入り衛生的な問題から、新水路を築造、新宿西側の淀橋に浄水場が建設された。