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「明治神宮」の鎮座と周辺の発展

1906(明治39)年、日本鉄道品川線(現・JR山手線)の「原宿駅」が開業した。間もなくして、駅の西側には1909(明治42)年に陸軍の「代々木練兵場」「衛戍監獄」が設けられ、この北側には1920(大正9)年に「明治神宮」が鎮座した。「原宿駅」周辺には「明治神宮」の正面参道となる「表参道」が開かれ賑わいを見せるようになっていった。


明治天皇と昭憲皇太后を祀る「明治神宮」 MAP __

明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする「明治神宮」。江戸時代には「彦根藩井伊家下屋敷」が置かれ、明治期に「南豊島御料地」となった場所に造営され、1920(大正9)年に「鎮座祭」が執り行われた。「御社殿」「宝物殿」「神橋」などがある「内苑」と、「明治神宮野球場」「聖徳記念絵画館」「明治記念館」などがある「外苑」に分かれている。写真は「御社殿」の南に位置する「第三鳥居」。
MAP __(第三鳥居)【画像は大正期】

写真は現在の「第三鳥居」。2016(平成28)年に創建以来初めて建て替えられた。「内苑」が造営される前の土地は畑や荒地がほとんどであったが、建設に伴い全国からの約10万本の献木があり、本多静六氏をはじめとする林学の専門家たちは林相(森林の様相)の遷移も考え『永久ニ荘厳神聖ナル林相(永遠に続く森)』を目指して植栽した。これらの樹木は100年以上育まれ、自然豊かな『明治神宮の杜』となった。写真の新旧比較からも杜の成長が見て取れる。

「明治神宮」の「表参道」は駅名に MAP __

「青山通り」から「神宮橋」に至る通りは、「明治神宮」の「表参道」として、1919(大正8)年に整備された。【画像は大正期】

幅員36mの両側にブランドショップや飲食店などが並ぶ人気の買い物スポットとなった「表参道」は、東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線の駅名にもなっている。美しいケヤキ並木が続く道路として「新・日本街路樹100景」にも選定されている。

2020(令和2)年に新駅舎となった「原宿駅」 MAP __

1906(明治39)年、日本鉄道山手線(現・JR山手線)の駅として開業した「原宿駅」。開業の翌日に「日本鉄道」は国有化された。当初は利用客が少なかったが、1920(大正9)年に「明治神宮」が完成すると、その最寄り駅となり利用客も増加した。「明治神宮」の造営に併せて新駅舎の建設も1919(大正8)年より進められ、1921(大正10)年、イギリス風の外観をもつ二代目駅舎(写真)が完成した。【画像は大正後期】

写真は2017(平成29)年撮影の二代目駅舎。この当時、都内に現存する最古の木造駅舎であったが、法律で定められた耐火性能が満たせないなどの理由から、現在の駅舎に建て替えられた。【画像は2017(平成29)年】

2020(令和2)年、二代目駅舎に隣接して新しい駅舎が供用開始となり、翌2021(令和3)年、二代目駅舎は解体された。跡地には、二代目駅舎の外観を再現した商業施設の建設が進められており、2026年に開業予定となっている。写真は現在の駅舎で、その奥、右隣が二代目駅舎の跡地となる。

「代々木練兵場」は戦後「ワシントンハイツ住宅地区」に

現在、「代々木公園」「NHK放送センター」がある場所には江戸時代、大名や旗本の下屋敷があった。1909(明治42)年に陸軍の「代々木練兵場」と「衛戍(えいじゅ)監獄」が設置され、1910(明治43)年にはここで徳川好敏大尉が日本最初の飛行機の飛行に成功している。また、「衛戍監獄」では、1936(昭和11)年に発生した「二・ニ六事件」の首謀者の死刑が執行された。戦後、この地にはアメリカ軍の兵舎・家族用宿舎「ワシントンハイツ住宅地区」が置かれ、返還後の1964(昭和39)年には「東京オリンピック」の「代々木選手村」が置かれた。画像は「代々木練兵場」で行われた観兵式の様子。
MAP __(代々木練兵場跡)MAP __(衛戍監獄跡)【画像は大正期】

1967(昭和42)年に開園した「代々木公園」にはサイクリングコースや野外ステージ、陸上競技場(織田フィールド)などの施設が整備されている。
MAP __(代々木公園)

「ワシントンハイツ住宅地区」時代に建設された住宅は、「東京オリンピック」では選手村の宿舎として活用された。現在、そのうちの一棟、オランダ選手の宿舎として使用されていた建物が、「代々木公園」内に「オリンピック記念宿舎」として保存されている。
MAP __(オリンピック記念宿舎)


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