「東海道」は、1601(慶長6)年に整備された。当初は、現在の港区芝四丁目あたりが起点だったが、その3年後に「東海道」が延伸したことで日本橋に起点が移ることになった。その際、現在の港区北東端に「新橋」が架けられ、文字通り『新しい橋』という意味で名付けられた。中央右手の白い建物は「帝国博品館勧工場」(現「銀座博品館」)。
東京の中心部に位置する芝エリア。江戸時代、徳川家康により「東海道」が整備されて交通の要衝となり、御府内への入口「高輪大木戸」や、徳川家の菩提寺「増上寺」が置かれるなど、徳川家・江戸幕府にとって重要な地となった。「明治維新」後、幕府や武家の広大な土地は、皇族・華族や財界人の邸宅や近代的な工場などへと変わっていく。明治初期には国内初の鉄道も新橋(現・汐留)~横浜間に開通した。明治期から戦前期にかけては企業の創業、大学の創設、放送局の開局など、産業・学問・文化の拠点ともなった。戦後は、東京を代表するビジネス街となり、日本の高度経済成長とともに発展。一方で、歴史ある寺社や公園・庭園も多く残されており、この地が歩んできた歴史を感じることもできる。