かつての浜寺の海岸は「高師(たかし)の浜」と呼ばれ、「万葉集」でも詠われるほど古くから白砂青松の地として知られ、松林が続いていた。明治前期、官有地とし松林の伐採を禁止したが、その後民間に払い下げられると、多くの松林が伐採された。松林の消滅を憂いた大久保利通氏が松林の保存を説いたことを受け、堺県知事がこの地を公園にすることを決定、1873(明治6)年に日本最初の都市公園の一つとして「浜寺公園」が誕生した。
「大阪湾」に面した堺周辺の美しい浜辺は古くからの景勝地であり、明治期以降は「浜寺公園」「大浜公園」として整備された。二つの公園は、大阪市方面からの鉄道が開通したことで、多くの人が訪れる観光地となり、特に夏期には海水浴客、避暑客で賑わった。「大浜公園」は「第五回内国勧業博覧会」の第二会場となり、「堺水族館」も誕生した。この付近には「大浜公会堂」「大浜潮湯」も誕生し、一大観光スポットとなった。