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景勝地から海浜リゾートへ

「大阪湾」に面した堺周辺の美しい浜辺は古くからの景勝地であり、明治期以降は「浜寺公園」「大浜公園」として整備された。二つの公園は、大阪市方面からの鉄道が開通したことで、多くの人が訪れる観光地となり、特に夏期には海水浴客、避暑客で賑わった。「大浜公園」は「第五回内国勧業博覧会」の第二会場となり、「堺水族館」も誕生した。この付近には「大浜公会堂」「大浜潮湯」も誕生し、一大観光スポットとなった。


「万葉集」に歌われた松林の海岸 1873(明治6)年「浜寺公園」に MAP __

かつての浜寺の海岸は「高師(たかし)の浜」と呼ばれ、「万葉集」でも詠われるほど古くから白砂青松の地として知られ、松林が続いていた。明治前期、官有地とし松林の伐採を禁止したが、その後民間に払い下げられると、多くの松林が伐採された。松林の消滅を憂いた大久保利通氏が松林の保存を説いたことを受け、堺県知事がこの地を公園にすることを決定、1873(明治6)年に日本最初の都市公園の一つとして「浜寺公園」が誕生した。

写真は大正期の撮影で、奥の建物は「公会堂」。【画像は大正期】

「浜寺公園」の入口付近に建てられている「浜寺公園碑」には、江戸時代に防風林が設けられたことなどが漢文で記されている。公園内には他にも、大久保利通氏が詠んだ句が記された「惜松碑」などが建つ。

私鉄で最古の駅舎であった「浜寺公園駅」 MAP __

南海鉄道(現・南海電鉄)の「浜寺駅」は1897(明治30)年に開業した。1907(明治40)年に駅舎を改築、駅名が現在の「浜寺公園駅」に改められた。このとき建てられた木造平屋建ての駅舎は、「東京駅」の設計者でもある建築家・辰野金吾氏が開設した「辰野片岡建築事務所」の設計によるもので、私鉄で最古の駅舎として2016(平成28)年まで使用されていた。【画像は大正期】

木造駅舎は連続立体交差事業に伴う駅の高架化工事のため、2017(平成29)年に約30mほど仮設の場所に曳家され、翌年から交流スペースとして活用されている。2027年度末、高架新駅舎の完成時には元の場所に戻され地上玄関口となる予定。写真は2014(平成26)年頃の「浜寺公園駅」。

人気レジャースポット「浜寺海水浴場」開設 MAP __

「浜寺海水浴場」は1905(明治38)年に開設された。「海上ブランコ」といった遊具なども設置される人気の海水浴場だった。海水浴場とともに開設された「海泳練習所」は、現在、毎年夏に「浜寺公園プール」で開催される水泳教室「毎日新聞社浜寺水練学校」の前身。写真は開設当初の頃の様子で、多くのテントが見える。【画像は明治後期】

写真は昭和前期の「浜寺海水浴場」の女子水泳場。当時の水泳場は区域が男女別に分けられていた。1961(昭和36)年、「泉北臨海工業地帯」の建設による埋め立てで、美しかった砂浜は姿を消した。【画像は昭和前期】

写真は「浜寺公園」と「泉北一区臨海埋立地」の間にある「浜寺水路」。「浜寺公園」側から撮影。

「第五回内国勧業博覧会」の施設から「堺水族館」が誕生 MAP __

>1879(明治12)年に開園した「大浜公園」は、1903(明治36)年、「第五回内国勧業博覧会」の第二会場となった。園内に造られた水族館は、博覧会閉幕後は市営の「堺水族館」となり、長く市民・府民に親しまれた。明治期の日本においてその施設は最高水準だったとされる。しかし、1934(昭和9)年の「室戸台風」による高潮で大破、その修繕中に火事で全焼した。1937(昭和12)年に再建、「東洋一の水族館」とも言われたが、集客数減少で1961(昭和36)年に惜しまれつつ閉鎖された。

写真は明治後期の「堺水族館」の門。【画像は明治後期】

1937(昭和12)年の再建の際、関連施設として「猿島」が設置された。現在は少し移転して「猿飼育舎」となっており、アカゲザルが飼育されている。

「阪堺電気軌道」が「大浜公会堂」を建設 MAP __(大浜公会堂跡)MAP __(龍女神像跡)

1912(明治45)年、「阪堺電気軌道」が「大浜公園」内に「大浜公会堂」を建設し、観光客の誘致に努めた。設計は「浜寺公園駅」駅舎も手がけた「辰野片岡建築事務所」。1924(大正13)年には、公会堂で「少女歌劇」も上演され、人気を博した。写真は大正期の「大浜公会堂」。右には「第五回内国勧業博覧会」のシンボルだった「龍女神像」も見える。【画像は大正期】

写真は現在の同地点付近の様子。上の橋は1971(昭和46)年に竣工した「乙姫橋」。「大浜公園」内に「府道大阪臨海線」が貫くことになり、南北に分断される園内を結ぶ連絡橋(歩道橋)として建設された。1987(昭和62)年度の「大浜高架橋」の完成により府道のルートが変更されたため、現在は連絡橋としての役割は終えたが、橋上からは眺望を楽しむことができる。かつて「龍女神像」があった場所は写真奥の「乙姫橋」の右脇付近、「大浜公会堂」があった場所は「乙姫橋」の先になる。

1974(昭和49)年に「龍女神像」は撤去されたが、平和と繁栄の象徴として1999(平成11)年の、市制110周年記念事業で「北波止突堤」の付け根に復元された。現在も「乙姫さん」の愛称で親しまれている。
MAP __(現在の龍女神像)

「少女歌劇」でも人気となった「大浜潮湯」 MAP __(大浜潮湯跡)MAP __(大浜海岸停留場跡)

1913(大正2)年、海水を沸かした大浴場や家族風呂、遊技場、食堂などがある「大浜潮湯(しおゆ)」が「大浜海岸そばに建てられた。1912(明治45)年、「阪堺電気軌道」が「宿院停留場」から「大浜海岸停留場」(写真手前)まで支線を開通していたこともあり、多くの人で賑わった。【画像は大正期】

写真は現在の同地点付近。「大浜潮湯」の跡地は「堺市立大浜体育館(大浜だいしんアリーナ)」「大浜武道館(だいしん大浜武道館)」(2021(令和3)年オープン)付近となる。

1928(昭和3)年には本館南側に劇場を新設、「大浜公会堂」で好評だった「少女歌劇」の劇場とした。【画像は昭和前期】


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