「淀川」は、「毛馬水門」の所で、「淀川」から「大川」へ分岐する(「大川」の方が本来の「淀川」なので、「大川」は「旧淀川」とも呼ばれている)。「大川」は、「中之島」で北の「堂島川」、南の「土佐堀川」に分かれる。「中之島」より下流になると「安治川」と名を変えてゆく。明治~昭和初期の名所絵葉書からも、「堂島川」「土佐堀川」沿いは大阪の商業の中心地だったことがうかがえる。
「中之島」をはさむ二つの川「堂島川」と「土佐堀川」
河川浄化のために建設された「堂島川ダム」 MAP __
世界初の証券・先物取引所「堂島米会所(米穀取引所)」と「堂島川」 MAP __
1730(享保15)年、蔵屋敷の集まる大坂「堂島川」のたもとに、「堂島米会所」が開設された。これは、世界初の本格的な先物取引市場といわれている。その日の相場は、櫓や山の上に中継所を設けて暗号式に旗を振って伝え、リレーで日本各地に知らせた。明治初期の錦絵にも、旗を振るための櫓が右下に描かれている。
写真は「堂島米市場」の跡地に2018(平成30)年に建立された記念碑「一粒の光」。デザインは世界的な建築家・安藤忠雄氏による。
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「日本銀行大阪支店」と「土佐堀川」と「淀屋橋」 MAP __
「土佐堀川」に架かる「淀屋橋」の名は、江戸時代に豪商「淀屋」が、自費でこの橋を架橋したことに由来する。1912(明治45)年、「淀屋橋」は鉄橋に架け替えられ、さらに1935(昭和10)年には、重厚なデザインの鉄筋コンクリート橋に架け替えられた。「淀屋橋」の北詰、「中之島」側には「日本銀行大阪支店」が、1903(明治36)年に建設された。設計は、「日本銀行本店」や「東京駅」の赤レンガ駅舎を手がけた辰野金吾による。
ネオ・ルネッサンス様式の三代目「大阪市庁舎」 MAP __
初代市役所は「江之子島」の「大阪府庁舎」の隣にあったが、1921(大正10)年、「中之島」に、堂々たるネオ・ルネッサンス様式の三代目「大阪市庁舎」が完成。高さ約56mで、当時大阪市一の高さのビルだった。