「北浜の風雲児」「義侠の相場師」という異名をもつ株式仲買人・岩本栄之助はアメリカを視察した際、富豪達が慈善事業のために巨額の寄付をしていることに感激し、父親の遺産と私財を合わせた100万円を「中央公会堂」建設のために大阪市に寄贈した。しかし、「第一次大戦」後の相場の激動のため岩本は大損害を被り、完成を待たずして、1916(大正5)年、39歳で自ら命を絶った。
江戸時代、「中之島」には大名の蔵屋敷が並び、大坂の経済の中心地となっていた。明治に入ると、この「中之島」に西洋建築が建てられ、時代を先駆けた地域となった。