現在の「ニッセイアロマスクエア」の場所にあった「高砂香料株式会社」。【画像は昭和初期】
大正期から昭和戦前期にかけて、蒲田は流行の発信地として多くの人々が集まった。モダンな街の象徴的な存在として知られるのが1920(大正9)年に開設された「松竹」の「蒲田撮影所」。現在JR「蒲田駅」の発車メロディとして使用されている『蒲田行進曲』は「蒲田撮影所」が10周年を記念して作った曲で、「花咲く蒲田 キネマの都……」と歌われるように蒲田には時代を彩った映画スターが集まり、「流行は蒲田から」と呼ばれるほどの活気と華やかさを誇った。
1916(大正5)年には国産タイプライター生産工場の「黒澤商店 蒲田工場」が建設され、社宅や幼稚園、小学校、テニスコートなどの施設を備えた先駆的な試みを行っていた。1919(大正8)年には黒澤と親交のあった大倉孫兵衛・和親父子が「大倉陶園」MAP __ を創業。1920(大正9)年には日本初の合成香料制作会社である「高砂香料」(現「高砂香料工業」MAP __ )が「蒲田撮影所」の隣接地で設立。他にも1921(大正10)年には日本初の船舶用ディーゼルエンジン工場である「新潟鐵工所 蒲田工場」MAP __ 、1932(昭和7)年には日本初のエレベータ一貫生産工場「東洋オーチス・エレベータ」MAP __ (現「日本オーチス・エレベータ」)、1934(昭和9)年には日本初のクリスタル専門工場「各務クリスタル製作所」MAP __ (現「カガミクリスタル」)など、日本のモノづくりを支える企業が続々と蒲田に進出した。
戦後は一早くヤミ市が誕生。昭和30年代には区画整理により現在の「蒲田西口商店街」MAP __ の前身もできた。この頃の蒲田の様子は2012(平成24)年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説『梅ちゃん先生』にも描かれている。庶民に映画が流行すると、「蒲田駅」東口には映画館が軒を連ね、都内屈指の映画街となった。