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大船の発展

大船地区は、明治中期に当時の官営鉄道(現・東海道線)に「大船駅」が置かれ、続いて現在の横須賀線との分岐点となったことで交通利便性が向上。発展の過程では田園都市計画があり、その後は「松竹大船撮影所」が置かれた。戦後には、ランドマーク的な存在である「大船観音」が完成した。


駅の誕生後、大船にも田園都市計画

東海道線と横須賀線が分岐する交通利便の良さや温暖な気候、地価の安さなどの条件が揃う大船で、大正期に田園都市計画が持ち上がった。場所は「大船駅」の東口前、約10万坪の土地を対象とし、1922(大正11)年3月頃から「大船田園都市株式会社」により工事が開始された。図は同年に発行された計画地の鳥瞰図で、中心に「夕日ヶ丘」と名付けられたロータリーの広場があり、そこから駅前(図上部)まで街区が碁盤目状に区画されている。同年11月から第一期が売り出され、当初は順調な売れ行きを見せたものの、「関東大震災」と1927(昭和2)年に起きた「昭和恐慌」の影響を受け翌年「大船田園都市株式会社」は倒産、田園都市事業は頓挫することになった。【画像は1922(大正11)年】

現在、「大船田園都市」跡地のうち、駅周辺は商業地となっているが、少し離れると閑静な住宅地となり、戦前期からの住宅も見られる。 MAP __

「山蒼(さんそう)稲荷神社」は「大船田園都市」の事業中断などの厄災を祓うため、1930(昭和5)年、地元住民により現在の「イトーヨーカドー」付近に創祀された。その後、「松竹大船撮影所」の建設に伴い、1934(昭和9)年に現在地に移転したといわれる。 MAP __

多くの名作が撮影された「松竹大船撮影所」 MAP __

田園都市計画が頓挫した「大船駅」東口の計画地の一部を「松竹株式会社」が買い取り、1936(昭和11)年にスタジオを蒲田から大船へ移した。この「松竹大船撮影所」では、城戸四郎撮影所長のもと、小津安二郎、木下惠介監督らが多くの名作を撮影した。山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズもこの撮影所で撮られている。【画像は昭和40年代】

昭和50年代に撮影所を縮小し、敷地の一部に「松竹ショッピングセンター」が竣工。1995(平成7)年には松竹の創業100周年事業として「鎌倉シネマワールド」が開設されたが3年で閉鎖となり、跡地は「鎌倉女子大学」に売却されている。

高さ約25mを誇る「大船観音」 MAP __

1927(昭和2)年、金子堅太郎、頭山満、清浦圭吾ら「国士舘」の人脈が中心となり「大船観音」の建立が計画された。1929(昭和4)年に起工式が行われたものの、「世界恐慌」などの影響を受け工事は中断。戦後の1954(昭和29)年に「財団法人 大船観音協会」が設立され工事が再開、1960(昭和35)年に高さ約25m、鉄筋コンクリート造りの白衣観音像の「大船観音」が完成した。 【画像は昭和20年代】

1981(昭和56)年、神奈川県より寺院としての認証を受け「大船観音寺」となり、伽藍が整備された。



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