「氷川神社」の門前町にはじまり、「中山道」の宿場町、多くの鉄道が集まり工場も立地した「鉄道の町」、そして「製糸の町」として歴史を重ねてきた大宮。地図は1930(昭和5)年発行の地図に、昭和初期頃までの主要施設を示している。
「大宮宿」および「大宮駅」周辺には町が広がっているが、周辺部にはまだ樹林や畑も多く見られる。「大宮宿」の東側には「芝川」「見沼代用水」が流れ、流路に沿って水田が広がっている。鉄道網も充実し、昭和初期にはすでに交通の要衝であったことがわかる。
この地図は、大宮における長い歴史のうちの、ごく一片を表現したものではあるが、街の歴史が現在の発展の礎であることを、視覚的に感じることができる。