1906(明治39)年、川越久保町から「大宮駅」西口までの約12.9kmに「川越電気鉄道」が開業した。現在の「国道16号」にほぼ沿うルートで、12の停留場が設けられ、所要時間は約45分。時速およそ25~30kmと自転車並みのスピードで走る電車は「チンチン電車」と呼ばれて親しまれた。数度の合併や改称ののち、1922(大正11)年に西武鉄道大宮線となった。しかし、1940(昭和15)年に並行する川越線が開業したこともあり、翌年に廃止となった。写真は1938(昭和13)年頃の五味貝戸付近の様子。
鉄道の要衝として発展
チンチン電車の呼び名で親しまれた「川越電気鉄道」 MAP __
ターミナル駅としての発展
一時は東北新幹線の始発駅に MAP __
地元有志による「大宮駅」誘致運動
写真は「大宮操車場」。現在、敷地の大部分は「さいたま新都心」として再開発された。
【画像は1932(昭和7)年頃】
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大宮の町は「氷川神社」の門前町としてはじまり、江戸期には「中山道」の宿場町としても発展、1869(明治2)年に大宮県が設置されると行政の中心地としても躍進する期待が高まった。
しかし同年9月には浦和県と改称、県庁も浦和に移された。また、1883(明治16)年に日本初の私鉄として上野~熊谷間で開通した鉄道でも、大宮には駅が設置されず、政治・経済ともに衰退する兆しが見られた。
それを危惧した白井助七を中心とした地元有志は、駅の設置に必要な土地や資材の提供を申し出るとともに、熱心な「大宮駅」設置運動を展開。2年後の1885(明治18)年3月16日に念願の「大宮駅」が開設された。
鉄道駅の誕生により発展の基礎が築かれ、現在では「東日本における北の玄関口」として発展し続ける「大宮」。その陰に地元有志による誘致活動があったことは忘れてはならない。白井助七はその後、1895(明治28)年に第3代大宮町長に就任し、今も名誉市民として市内の「鐘塚公園」に銅像が設置されている。
MAP __(鐘塚公園)