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「大宮公園」と「大宮盆栽村」


桜の名所としても親しまれてきた「大宮公園」 MAP __

1885(明治18)年、「大宮駅」開業と時を同じくして、太政官布達により「氷川公園」の名称で「大宮公園」が誕生した。1898(明治31)年より県の管理となり、現存する埼玉県営公園の中では最も長い歴史を持つ。67.8ヘクタールもの広大な敷地には約1,000本もの桜が植えられ、桜の名所としても知られている。【画像は大正期】

1990(平成2)年には、公益財団法人「日本さくらの会」が選定した「日本さくら名所100選」に選ばれている。

本多静六らにより改良が加えられた「大宮公園」 MAP __

1921(大正10)年、林学博士であり造園家、日本の「公園の父」とも呼ばれる本多静六らにより「氷川公園改良計画」が立案され、全国に先駆けて県営の野球場や陸上競技場などが計画された。1934(昭和9)年には「大宮球場」の新設を記念して、「日米親善野球大会」が開催されベーブ・ルースも訪れた。写真は昭和戦前期の「埼玉県営グランド」の様子。【画像は昭和戦前期】

1960(昭和35)年には日本初のサッカー専用球技場も開場している。1964(昭和39)年には「東京オリンピック」の会場としても使用された。

職人が思い描いた理想のまちづくり「大宮盆栽村」 MAP __

「関東大震災」により被災した東京の盆栽業者が、盆栽づくりに適した広い土地、土壌、きれいな水と空気を求めて集団移住し、1925(大正14)年に誕生した「大宮盆栽村」。最盛期には30軒以上もの盆栽園があった。【画像は昭和初期】

現在は、閑静な住宅地としても知られる盆栽町。「芙蓉園」「九霞園」「清香園」「蔓青園」「藤樹園」の盆栽園があり、さいたま市の伝統産業事業所に指定されている。

新たな土地を開拓するにあたり、移住してくる盆栽業者に合わせた区画整理事業が採用され、当時としては画期的な町並みが形成された。6間(約10.8m)もの道幅の広い道路と、300~1,500坪をひと区画としたゆったりした区画が特徴で、街路樹には柳や銀杏、桜が植えられた。【画像は昭和初期】


大宮から世界へ発信される「BONSAI」の魅力 MAP __(さいたま市大宮盆栽美術館)

1973(昭和48)年の「大宮盆栽村創設50周年記念陳列会」の様子。

1973(昭和48)年の「大宮盆栽村創設50周年記念陳列会」の様子。
【画像は1973(昭和48)年】

「大宮盆栽村」が誕生してから3年後の1928(昭和3)年、「盆栽村組合」がつくられた。組合は「盆栽を10鉢以上もつこと」「二階建ては建てないこと」といった規約をつくり、全国から移住者を募ると、東京の盆栽業者を中心に、全国から20軒ほどが集まったという。その後、1940(昭和15)年に大宮市盆栽町となる頃には、戸数60戸、人口は300人ほどの規模までになった。

この時期の「大宮盆栽村」は、環境が整備された住宅地として、盆栽業者以外の人々も移り住んできていた。

盆栽業者たちは、新設された「大宮公園駅」のホームに盆栽の陳列所を設けて利用者向けに鑑賞の機会を提供したり、開村から10年を迎えた1935(昭和10)年には「盆栽大交換会」と称した記念行事を開催し全国の盆栽業者約200名を大宮に招待したりと、積極的な取り組みを行った。

戦後も、「東京オリンピック」や「大阪万博」の開催に合わせて「大宮盆栽村」の作品を出品するなど、国内はもとより海外に向けた盆栽の普及にも貢献し、海外からの観光客や、ときには国賓も「大宮盆栽村」へ訪れるようになった。2010(平成22)年には、世界初の公立の盆栽美術館となる「さいたま市大宮盆栽美術館」が「大宮盆栽村」のそばに開館した。

近年では「BONSAI」という言葉が世界で通用するほどの認識の広まりを見せている。2017(平成29)年には、第8回となる「世界盆栽大会」が、さいたま市において開催された。1989(平成元)年に旧・大宮市で第1回が開催されて以来、28年ぶりの開催で、国内外から注目を集めた。



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