1885(明治18)年、「大宮駅」開業と時を同じくして、太政官布達により「氷川公園」の名称で「大宮公園」が誕生した。1898(明治31)年より県の管理となり、現存する埼玉県営公園の中では最も長い歴史を持つ。67.8ヘクタールもの広大な敷地には約1,000本もの桜が植えられ、桜の名所としても知られている。
「大宮公園」と「大宮盆栽村」
桜の名所としても親しまれてきた「大宮公園」 MAP __
本多静六らにより改良が加えられた「大宮公園」 MAP __
職人が思い描いた理想のまちづくり「大宮盆栽村」 MAP __
「関東大震災」により被災した東京の盆栽業者が、盆栽づくりに適した広い土地、土壌、きれいな水と空気を求めて集団移住し、1925(大正14)年に誕生した「大宮盆栽村」。最盛期には30軒以上もの盆栽園があった。
大宮から世界へ発信される「BONSAI」の魅力 MAP __(さいたま市大宮盆栽美術館)
「大宮盆栽村」が誕生してから3年後の1928(昭和3)年、「盆栽村組合」がつくられた。組合は「盆栽を10鉢以上もつこと」「二階建ては建てないこと」といった規約をつくり、全国から移住者を募ると、東京の盆栽業者を中心に、全国から20軒ほどが集まったという。その後、1940(昭和15)年に大宮市盆栽町となる頃には、戸数60戸、人口は300人ほどの規模までになった。
この時期の「大宮盆栽村」は、環境が整備された住宅地として、盆栽業者以外の人々も移り住んできていた。
盆栽業者たちは、新設された「大宮公園駅」のホームに盆栽の陳列所を設けて利用者向けに鑑賞の機会を提供したり、開村から10年を迎えた1935(昭和10)年には「盆栽大交換会」と称した記念行事を開催し全国の盆栽業者約200名を大宮に招待したりと、積極的な取り組みを行った。
戦後も、「東京オリンピック」や「大阪万博」の開催に合わせて「大宮盆栽村」の作品を出品するなど、国内はもとより海外に向けた盆栽の普及にも貢献し、海外からの観光客や、ときには国賓も「大宮盆栽村」へ訪れるようになった。2010(平成22)年には、世界初の公立の盆栽美術館となる「さいたま市大宮盆栽美術館」が「大宮盆栽村」のそばに開館した。
近年では「BONSAI」という言葉が世界で通用するほどの認識の広まりを見せている。2017(平成29)年には、第8回となる「世界盆栽大会」が、さいたま市において開催された。1989(平成元)年に旧・大宮市で第1回が開催されて以来、28年ぶりの開催で、国内外から注目を集めた。