「阿佐ケ谷駅」から北へ向かう「松山通り(旧中杉通り)」は、江戸時代は「子の権現」という寺(現在の「目白通り」あたり)への参詣道であり、戦前から商店街があった。「太平洋戦争」中に「阿佐ケ谷駅」周辺で行われた建物疎開の跡地などを利用し、駅の南北を結ぶ形で、1952(昭和27)年に「中杉通り」が開通した。写真は左に「阿佐ケ谷駅」前から南へまっすぐ延びる「中杉通り」が確認でき、植樹されたケヤキ並木が見える。
杉並区は「太平洋戦争」において、空襲により大きな被害を受けたが、戦後は空襲や建物疎開の跡地などから、新しい道路や施設が誕生した。「阿佐ケ谷駅」から南北に伸びる「中杉通り」や「荻窪駅」北口の「新興マーケット」は、その代表的なものとなっている。また多くの飲食店も戦後まもなく開店しはじめ、現在に至るまで人々に愛されているお店もある。