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荻窪・阿佐谷を愛した作家・文化人

「関東大震災」後に多くの作家、文化人らが住居を構えた中央線沿線は、それぞれが特色のある街として発展する。荻窪・阿佐谷周辺には、井伏鱒二氏や夫婦で移住した与謝野鉄幹氏・晶子氏夫妻らの作家や歌人が多く移り住み、「阿佐ヶ谷会」という文人会も生まれた。井伏氏の弟子となった太宰治氏が下宿した「碧雲荘」は、長くその姿を残していた。


「阿佐ヶ谷会」に集まった井伏鱒二氏と文士たち

作家の井伏鱒二氏が残した『荻窪風土記』には、1927(昭和2)年に井荻町(現在の杉並区清水一丁目)へ転居してきたときの様子が描かれている。このとき、井伏氏は自らの足で探した土地を借り、借金などの苦労をして自宅を建てており、1993(平成5)年に95歳で亡くなるまでの66年間をここで過ごした。その間、井伏氏を慕った作家・太宰治氏がこの家で結婚式を挙げている。また、時を同じくして阿佐谷周辺にも三好達治氏、外村繁氏らが住むようになり、文士間の交流も生まれた。「阿佐ケ谷駅」前の中華料理店「ピノチオ」に集まり、文士が将棋を楽しむ会が誕生。これが文士交流の場となる「阿佐ヶ谷会」に発展した。戦時中は中断したこの集まりは戦後に復活し、1970年代まで続いた。前列の左から3人目、将棋盤の後ろに座っているのが井伏鱒二氏。【画像は昭和20年代】

音楽評論家・大田黒元雄氏の邸宅は区立公園に MAP __

大正期から昭和期にかけて活躍した大田黒元雄氏(写真)は、日本最初のクラシック音楽評論家といわれ、西洋の音楽や文化を次々と日本に紹介した。東荻町(現在の杉並区荻窪三丁目)の邸宅は1933(昭和8)年に建てられ、仕事部屋として使用された。欧米の建築様式に日本瓦の屋根という和洋折衷の建物で、没後は大田黒氏の遺志で杉並区へ寄贈された。【画像は大正期】

1981(昭和56)年に邸宅は周囲の土地とともに整備され、「杉並区立大田黒公園」が開園した。園内の回遊式日本庭園の中には、数寄屋造りの茶室も設けられている。【画像は1983(昭和58)年】

現在の「杉並区立大田黒公園」。池から芝生の庭園を望む。

邸宅は記念館として公開されており、愛用のピアノなどの見学が可能。2016(平成28)年、記念館と蔵が国の登録有形文化財となった。展示されているピアノは1918(大正7)年、ロシアの作曲家のセルゲイ・プロコフィエフ氏が演奏したことでも知られる。プロコフィエフ氏は「ロシア革命」後にアメリカへ亡命する途中に日本に約2ヶ月間滞在しており、この時、大黒田邸を何度も訪れ親交を結んだ。この時の大黒田邸は荻窪へ転居する前で、大森山王(現・大田区山王)にあった。

「与謝野公園」は与謝野鉄幹氏・晶子氏夫妻が住んだ場所 MAP __

歌人・作家として有名な与謝野鉄幹(寛)氏・晶子氏夫妻は、「関東大震災」後の1927(昭和2)年、麹町区(現・千代田区)から井荻村に転居してきた。当時は、洋館と日本家屋があり、写真は母屋の「遙青書屋(ようせいしょおく)」前にて夫婦で撮影したもの。ここで晶子氏は『源氏物語』の現代語訳に取り組み、1939(昭和14)年に『新新訳源氏物語』を完成させた。2人は晩年をここで過ごし、鉄幹氏は1935(昭和10)年、晶子氏は1942(昭和17)年に死去した。【画像は昭和戦前期】

夫妻の邸宅の跡地は公園となった。1982(昭和57)年に開園した際は「南荻窪中央公園」と呼ばれていたが、再整備され2012(平成24)年に「与謝野公園」となっている。公園内の歌碑14基には、夫妻の短歌が刻まれている。


天沼に住んだ太宰治氏、「碧雲荘」は湯布院町に移築 MAP __

移築工事前の「碧雲荘」(画像は2010(平成22)年)

移築工事前の「碧雲荘」【画像は2010(平成22)年】

『走れメロス』『斜陽』『人間失格』ほかの作品で有名な作家、太宰治(本名・津島修治)氏は青森県の津軽の生まれで、1930(昭和5)年に「東京帝国大学文学部」(現「東京大学」)に入学するために上京し、作家の井伏鱒二氏に師事した。1933(昭和8)年から1938(昭和13)年にかけて、太宰氏は師・井伏氏が住むそばの荻窪・天沼にて暮らし、入院や転地療養を挟みながら文学作品を執筆した。また本名ではなく筆名『太宰治』を使ったのは荻窪に越して来た頃で、作家生活の始まりの地だったともいえる。

この地で下宿やアパートなど転居を繰り返した太宰氏の住居のうち、その姿を最近まで保っていたのが天沼三丁目にあった「碧雲荘(へきうんそう)」だった。1936(昭和11)年11月、太宰氏はこの「碧雲荘」にやって来て、1937(昭和12)年6月、天沼一丁目の下宿(鎌滝方)に移るまでの半年ほどを過ごした。

「碧雲荘」は、2階建ての日本家屋で、太宰氏はその2階部分の部屋で暮らしていた。ここの便所の窓から見た「富士山」の風景は、短編『富嶽百景』の中で、『東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はっきり、よく見える』と表現されている。またこの部屋では、『人間失格』の原型ともいえる短編『HUMAN LOST』などが執筆された。

近年まで残されていた「碧雲荘」だが、2016(平成28)年に杉並区の特別養護老人ホーム建設のために解体された。太宰氏ゆかりの建物だけに保存がされることとなり、大分県由布市湯布院町の「ゆふいん文学の森」に移築され、2017(平成29)年4月16日にオープンした。建物内には書斎やベランダが復元されている。


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