1889(明治22)年、米「南メソヂスト監督教会」の宣教師、ウォルター・ラッセル・ランバス師により、「原田の森」(兵庫県原田村、現・神戸市灘区)に、「関西学院」が創立された。この校名は、英和学校と名付けられるミッションスクールが多い中、慣習を打ち破って「学院」とし、「西日本の指導者となる」という意味を込めて、関西を冠し、「クワンセイ」という独特の発音をするなど、自由な校風で知られた。1929(昭和4)年、上ケ原(兵庫県甲東村、現・西宮市)に移転し、1932(昭和7)年に「関西学院大学」の設置が認可された。1958(昭和33)年には、キャンパスを含む上ケ原地区が、文教地区として指定された。
明治末期から昭和前期にかけて、この地域を中心に、のちに『阪神間モダニズム』と呼ばれる都市文化が花開いた。その担い手の多くは、この地での古くからの有力者や、この地へ移住してきた実業家・文化人をはじめとする住民たちであった。こうした文化を背景に建設された特徴的な建物は『阪神間モダニズム建築』と呼ばれ、学校、鉄道、商店、娯楽施設などで現存しているものもある。西宮には「関西(かんせい)学院大学 西宮上ケ原キャンパス」の建物、「武庫大橋」などが見られる。