「甲子園国際庭球場」のセンターコート。【画像は昭和戦前期】
「甲子園」といえば、高校野球の聖地であり、プロ野球チーム「阪神タイガース」の本拠地として、全国から注目を浴びる場所である。しかし、過去には、現在と異なる面を有する土地であった。この地を主体的に開発したのは、「阪神電鉄」であり、その開発は鉄道の敷設、運動場・遊園地の建設、そして住宅地の開発の三つが柱となっている。
阪神電鉄が開通させた阪神本線や阪神国道線(路面電車)は、国鉄(現・JR)東海道線に比べて駅(停車場)数が多く、甲子園線(路面電車、後に廃止)も含めて、阪神間の発展に大きく貢献した。
1905(明治38)年の阪神本線開通当時、「鳴尾駅」と「今津駅」(現「久寿川駅」)の間には駅は置かれなかった。現在の駅のある場所には「枝川」が流れており、現在の「阪神甲子園球場」付近は「枝川」と「申川」に挟まれた三角州や流路であった。1920(大正9)年、「武庫川」の改修工事により「枝川」、「申川」が姿を消し、河川敷を含めて新たに利用可能な土地が生まれた。この土地(約22万4千坪)を手に入れたのが「阪神電鉄」であり、1924(大正13)年に完成した大運動場(野球場)を干支の「甲子(きのえね)」の年にちなみ「甲子園大運動場」と名付けた。
「甲子園南運動場」の開設後の「甲子園」の図。「甲子園国際庭球場」「甲子園水上競技場」は開設される前で、この図のプールのあたりに「甲子園国際庭球場」、テニスコートのあたりに「甲子園水上競技場」が建設される。【図は昭和初期】
1929(昭和4)年、周辺に「甲子園南運動場」を開設、これにより「甲子園大運動場」は野球専用となり、「甲子園野球場」「甲子園球場」と呼ばれるようになった。同年には「甲子園娯楽場」も開業、1937(昭和12)年頃には、センターコートのほか「百面コート」と呼ばれたテニスコート群を持つ「甲子園国際庭球場」、大プールを中心とした「甲子園水上競技場」が開設されるなど、スポーツを中心とした総合レジャーランドへと発展した。
MAP __(甲子園南運動場跡地)
MAP __(甲子園国際庭球場跡地)
MAP __(甲子園水上競技場跡地)
一方、阪神本線の北側では、住宅地の開発を進めることとなる。阪神によって、1929(昭和4)年以来、「阪神国道」から南に向けて住宅地が開発され、その後は阪神本線の南側にも住宅地が誕生した。こうした町や施設を結び、地域住民、観光客の足となったのが阪神甲子園線で、1926(大正15)年に甲子園・浜甲子園間が開通、1928(昭和3)年には上甲子園・甲子園間が延伸された。