「辰馬本家酒造」での麹つくりの様子。
兵庫県内にある「灘五郷」は日本酒の生産地として全国的に知られている。現在は東から、西宮市内の「今津郷」「西宮郷」、神戸市内の「魚崎郷」「御影郷」「西郷」の5つの地域を指す。
江戸時代以前は伊丹(現・兵庫県伊丹市)、池田(現・大阪府池田市)を含めて、摂津・和泉国(現・大阪府、兵庫県)に「摂泉十二郷」という「酒どころ」があった。この中の一つ、「有馬街道」「京伏見街道」などが交わる交通の要衝「小浜(こはま)宿」(現・兵庫県宝塚市小浜)には「小浜流」と呼ばれる流派の酒蔵もあったが、江戸中期頃までに衰退した。
江戸前期には「今津郷」「上灘郷」「下灘郷」が「灘目(なだめ)三郷」と呼ばれ、このうちの「上灘郷」が「東組(魚崎郷)」「中組(御影郷)」「西組(西郷)」の三つに分かれ、1828(文政11)年に「灘五郷」が誕生した。のちに「下灘郷」は衰退、1886(明治19)年に「西宮郷」が加わり、現在まで続いている。
現在の「今津灯台」は1858(安政5)年に再建されたもので、現役の航路標識としては日本最古。2023(令和5)年より津波対策の一環で対岸へ移設され、翌2024(令和6)年に再点灯となった。
MAP __(今津灯台)
「今津郷」の代表的な酒造家、現「大関」の長部(おさべ)家は1711(正徳元)年に初代・大坂屋長兵衛が創業したことに始まる。江戸後期の1810(文化7)年、樽廻船の安全を図るために民営の燈台「今津灯台」を設置。江戸期より「万両」の酒銘で知られてきたが、1884(明治17)年、当時人気があった大相撲にちなみ「大関」を酒銘とした。1964(昭和39)年には、業界に先駆けて、一合カップ容器入りの清酒「ワンカップ大関」を発売している。
「宮水発祥之地」の碑。周辺には大手酒造メーカーが「宮水」を取水する井戸も見られる。「宮水」は硬水で、ミネラルバランスが日本酒の醸造に向いているとされる。
MAP __(宮水発祥之地の碑)
「西宮郷」では江戸末期の1840(天保11)年に「宮水(みやみず)」(「西宮の水」の意味)が発見された。当時「魚崎郷」と「西宮郷」に酒蔵を構えていた現「櫻正宗」の当主・山邑太左衛門は、「魚崎郷」より「西宮郷」で汲んだ地下水「宮水」を使用した方が良質の日本酒となることに気づき、この水をわざわざ「魚崎郷」まで運んで酒造に用いるようになった。その後「灘五郷」一帯のほかの酒蔵でも「宮水」を使用するようになり、西宮には「宮水」を汲み上げ販売する業者「水屋」も多く誕生した。「宮水」を得やすい「西宮郷」では、前掲の「白鹿」のほか、「白鷹」(「辰馬本家」の分家)、「日本盛」(1889(明治22)年創業)をはじめ、多くの酒蔵が醸造を続け、現在も国内を代表する酒蔵地帯となっている。