「鳴尾百花園」は、1905(明治38)年、地元の名士である鳴尾辰馬家十五代当主の辰馬半右衛門が造った庭園。席亭や築山を設け、四季の草花の鑑賞、散策などを楽しむことができた。また、付近では明治後期から「鳴尾いちご」が栽培されており、いちご狩りが楽しめたこともあり、多くの観光客を集めた。大正末期に「阪神電鉄」に売却されて「武庫川遊園」の一部となり、その後跡地は軍需工場などを経て住宅地となった。
1905(明治38)年に「阪神電鉄」が開通させた路線は、阪神間の海岸地域の発展を加速させた。交通の便が増したことで、風光明媚な西宮周辺には、別荘地、遊園地、競馬場などが開かれ、今でいう海浜リゾート地が各地に誕生した。こうした海岸は、夏には海水浴場として賑わった。