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商業の隆盛 市場が支える「食い倒れ」

江戸時代からの雑喉場の魚市場、天満の青物市場は、明治維新後も「天下の台所」「食い倒れの街」を支えてきたが、1931(昭和6)年に近代的な「大阪市中央卸売市場」に引き継がれた。「戎橋筋」などにある商店街も次々と新しいスタイルに生まれ変わってゆく。心斎橋近くの「御堂筋」沿いには、「大丸」と「そごう」がモダンなデパートメントストアを誕生させた。


「三大市場」の一つ、魚市場の「雑喉場」 MAP 36

「三大市場」の一つ、「雑喉場」の基となった魚問屋の集落は、大坂の都市形成にともなって天満鳴尾町(現・北区天神橋)から、より港に近い場所を求めて移転を繰り返し、江戸前期に鷺島(現・西区江之子島付近)一帯に形成された。「雑喉場」とは、もともと「雑魚」を取引する「場所」を示す言葉だったが、後に地名にもなった。この「雑喉場」は、1931(昭和6)年に「大阪市中央卸売市場」に吸収合併されるまで、大阪市民の台所を支えた。【画像は1914(大正3)年】

現在は市場の面影はなく、「江之子島公園」入口付近に「雑喉場魚市場跡」の碑が設置されている。

水陸の交通を活かした「大阪市中央卸売市場」 MAP 37

1918(大正7)年に「米騒動」が発生すると、生鮮食料品の安定供給の必要性が高まり、取引の正常化や適正な価格形成を目的として、1923(大正12)年に「中央卸売市場法」が制定された。大阪市は1931(昭和6)年、東洋一といわれた「大阪市中央卸売市場」を設置した。開設時の面積は12万6千平方メートルで、戦後に拡張、再整備が行われている。この地は「安治川」「木津川」などの水運が利用できるほか、北側にある西成線(現・JR大阪環状線)の「野田駅」から、貨物支線が「大阪市場駅」まで延びていた。「大阪市場駅」は1931(昭和6)年から1984(昭和59)年まで存在した。また、1958(昭和33)年に「食肉市場」(現「南港市場」)、1964(昭和39)年に「東部市場」が開設され、ここは「大阪市中央卸売市場本場」となった。【画像は昭和前期】

1989(平成元)年度から本場の建替整備に着手し2002(平成14)年度に完成。市場情報システムが構築されるなど、生鮮食料品流通の基幹をなすシステムとして発展を続けている。

「道頓堀川」に架かる「戎橋」、難波に延びる「戎橋筋」 MAP 38

「道頓堀川」に架かる「戎橋」は、大阪市南部の繁華街の中でも最も人通りの多い場所の一つ。この橋から北側に「心斎橋筋商店街」が延び、南側には「戎橋筋商店街」が南海電鉄「難波駅」前まで続いている。「戎橋」の名称は、ここから「今宮戎神社」への道が続いていたことに由来する。1925(大正14)年から鉄筋コンクリートのアーチ橋が架かっていたが、2007(平成19)年に現在の橋に変わった。「戎橋筋」の商店の賑わいは、江戸時代に形成され、1913(大正2)年に「戎橋筋聯合会」が結成された。【画像は昭和前期】

現在の「戎橋」の様子。写真奥に見える「戎橋筋商店街」は戦後まもなく復興し、1962(昭和37)年にはアーケードが完成。1995(平成7)年、2013(平成25)年に改修工事を終え現在に至る。

「御堂筋」「心斎橋筋」に「大丸」と「そごう」 MAP 39(大丸) MAP 40(そごう)

「大丸」と「そごう(十合)」は、近代大阪を代表する百貨店であり、「心斎橋」に近い「御堂筋」と「心斎橋筋」の間に隣接する形で、近代的な店舗(デパート)を開いた。「大丸 心斎橋店」は、江戸時代の1726(享保11)年に「松屋」の名で開店し、1925(大正14)年にデパートメントストアの営業形態になっている。このとき建設された店舗は建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズによる名建築として有名である。一方、「そごう」の「大阪心斎橋本店(旧大坂店)」の起源は、1877(明治10)年に「大和屋」が「心斎橋筋」に進出した「十合呉服店」で、1919(大正8)年から本格的な百貨店経営をスタートした。写真中央の建物が「大丸」、その奥に建っているのが「そごう」である。【画像は昭和前期】

「そごう 心斎橋本店」は、2009(平成21)年に閉店し、跡地は「大丸 心斎橋店」の北館(写真)となっている。


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