「多摩川」の鮎は、江戸期に美味な食材として知られるようになった。明治期に入ると、行楽として鮎釣りが行われるようになったほか、屋形船を出して鮎漁を見物させ、その鮎を料理して提供する料理屋も人気となり、上丸子では「鈴半」「多満や」などの料理旅館が客を集めた。写真は大正末期、「丸子の渡し」の渡船場そばに建物を構えていた「鈴半」の表玄関。
「多摩川」は、飲料水・農業用水の水源や漁場となるばかりでなく、沿川に観光資源ももたらした。上丸子一帯には、美味で知られた鮎や川遊びを求めて多くの行楽客が訪れ、料亭・旅館も多く誕生。夏には花火大会も開催された。広い河川敷を利用する形で、日本初の常設モーターサーキット「多摩川スピードウェイ」も造られた。