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町田郊外の変化

ここまで主に「町田駅」周辺の変化を追ってきたが、駅周辺の発展と同時期に、町田郊外もまた農村地区から住宅地へと大きく変化を遂げてきた。ここでは、町田郊外の変化の様子にも触れてみたい。


江戸期に賑わいを見せた「小野路宿」 MAP __

「鎌倉街道」は鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道で、現在の町田市域には、そのうちの一つ、「上道(かみつみち)」が通っており、市内各所にその遺構や伝承が残る。小野路も「鎌倉街道上道」が通っていた地で、室町時代にはその地名が確認できる。江戸期には「大山道」(大山詣のための道)の一つ、「府中通り大山道」の宿場町「小野路宿」として賑わいを見せた。幕末には、小野路の名主・小島鹿之助のもとに、のちに「新選組」となる近藤勇、土方歳三が剣術の稽古のため、たびたび訪れている。写真は1959(昭和34)年の小野路の様子。【画像は1959(昭和34)年】

水の流れる側溝や板塀など、当時の景観を活かしつつ整備されている。2013(平成25)年には「小野路宿里山交流館」(写真左)もオープンした。

昭和30年代からの団地建設により大きく様変わりした町田郊外 MAP __

住宅地としての町田の発展に伴い、町田郊外の地区でも大型団地の建設が進められた。昭和30年代の後半に「高ヶ坂団地」が誕生したのを皮切りに、森野、木曽、鶴川といった地区に次々と大型団地が誕生。写真は1968(昭和43)年8月、建設中の「境川団地」。この年から「境川団地」の入居が始まった。【画像は1968(昭和43)年】

「境川」沿いにある「境川団地」。「町田駅」や「淵野辺駅」などからバス利用でアクセスしやすい。1988(昭和63)年には、徒歩圏内に「古淵駅」も開業している。

「学園村」構想により誕生した「玉川学園」

「成城高等学校」の校長を務めていた小原國芳氏が本町田に土地を購入、1929(昭和4)年に創立した「玉川学園」。小原氏はこの地を通る「小田急」に駅舎を無償提供し、同年「玉川学園前駅」も開業した。写真は1929(昭和4)年頃の現地付近の様子。学園建設の資金として宅地も分譲し、学者や文化人なども多く暮らすようになった。【画像は1929(昭和4)年頃】

玉川学園は、現在も閑静な住宅地としても発展を続けている。駅周辺の住所は1967(昭和42)年、正式に「玉川学園一~八丁目」となった。
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小田急線の開通は1927(昭和2)年で、このときに町田~鶴川間に駅は存在しなかった。「玉川学園前駅」の開業は1929(昭和4)年4月で、「玉川学園」の創立とほぼ同時期であった。写真は1930(昭和5)年頃の駅舎の様子。
MAP __【画像は1930(昭和5)年頃】

現在の「玉川学園前駅」には、各駅停車とともに準急、通勤準急が停車し、「玉川学園」の学生、生徒、児童も多く利用する。


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